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“明るいおカネ第一主義”の伝道師 ライブドア社長 堀江貴文〜その2しかし、東大も解放区ではなかった。ガリ勉の反動か、学問に対する失望か、授業にも出ない毎日が続いた。貧乏学生らしく、オンボロの駒場寮に住んで、支えは食欲。そして時々、同級生Nとヒッチハイクの旅に出た。どこか遠くへ! ヒッチハイクとは欲望の彷徨(ほうこう)だ。 しかし、明るい青春ドラマは堀江にふさわしくない。むしろ暗い「引きこもり」の方が現実に近かった。3年生になり、駒場から本郷にキャンパスが移った時、堀江とNは同居を始めた。だが、距離の近さは鬱陶しさに転じ、若い二人の関係を断絶させた。今は博士課程で文化人類学を専攻するNが語る。 「『冷戦』でしたね。一切口をきかず、腹の中では、お前もゴミぐらい出せよー、使った鍋は洗えよー、です。帰宅したら、彼はテレビを見ていて、僕はその背中を黙ってすり抜ける。そんな毎日でした」 無為な「超ヒマしてます」の日々。今なお、学問に生きようとするNは、冷静に語る。 「堀江君は宗教学を専攻したけれど、明確な答えのない文科系の学問に辟易(へきえき)していたんだと思います。昼まで眠って、起きるとバイトとマージャン、馬券を買って、面白いことねぇなー、の毎日だったろうと僕は壁越しに想像していました。でも、経費の分担はキチンとして、彼はおカネで人を裏切ることは一度もありませんでした」 94年、本郷の東大正門近くにあるフィクスというベンチャー企業でアルバイト募集があった。生活費に困っていた彼はこれに応募し、ここでインターネットに出合い、のめりこんだ。 これは、世の中を一変させる! 起業しよう! ![]() 幻に終わった「仙台ライブドアフェニックス」のイベントを、昨年12月、仙台で開いた。今さらなぜ、と聞けば、「約束してたから」
彼は一冊の本を買い求めた。タイトルは、『有限会社の作り方』。教科書通りに会社を作った。社員は3人。雑居ビルの7畳の一部屋から始まった。経営手法は意外に手堅く、ネットベンチャーの多くが無料のサービスに走る中、企業のホームページ作りなど、「カッコ悪いが、日銭を稼ぐこと」に専念した。 たゆまぬ営業努力で創業以来、赤字を出したのは一期だけ。2000年にはマザーズ上場。27歳の上場社長の誕生だ。その頃、別な命も誕生した。新しい恋人と「出来ちゃった結婚」をしたのだ。 しかし、上場で得た莫大な資金は、堀江を経営ゲームに一層のめりこませた。新興企業の社長=「ゲームのプレイヤー」に加えて、「いいパパ」「いい夫」を演じることは、彼にはどだい無理だった。 堀江はプライベートな質問に対しては実に素っ気ない。離婚した元妻のもとにいる息子に会いたいか、と聞くと、「一緒に住めないんですから、会ったってしょうがないですよ」。 今後、結婚することは? 「ありません。既に形骸化した形式だと思います」 彼は4年前に、生まれたばかりの息子を連れて実家に帰った。その時、父親は庭に鯉のぼりを立てて初孫の誕生を喜んだ。それ以来、彼は八女に帰っていない。帰る理由がない。 「八女に懐かしさも、感謝もありません。友達もいないし、用事もありません」 この全否定こそ、今の「自由」の根拠だ。 「世の中に暖かい家庭ってあるんですか? 僕には信じられない。みんな飽きてないの? なぜ人間は自分をガマンして偽って生きてるんですか?」 ![]() スチール机の“社長席”で、黙々と弁当をかき込むランチタイム
※この記事は日経ベンチャー2005年2月号に掲載されたものです。取材が行われた2005年1月現在の内容となります。
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