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竹林篤実のうつ病ブックレビュー
「新型うつ病」のデタラメ

 本書は作家・五木寛之と精神科医・香山リカによる対談である。出版されたのは2008年、この時点で五木寛之は、社会全体が「躁」から「鬱」への転換期に入ったと捉えていた。

 現実にはこの後リーマンショックが日本を襲い、GDPで中国に抜かれて世界第三位の経済国へと日本はポジションを落とす。そして2011年、東日本大震災に見舞われた。確かに日本は「鬱の時代」に入ったのかもしれない。

 五木が問いかけるのは、そんな時代の生き方だ。

 「『鬱の時代』をどう生きるかを考えたとき、政治家も経済人も、『鬱の哲学』というようなものを持たないと生きていけないんじゃないか。自由経済至上主義や市場原理主義は、明らかに限界に来ている。これからはドルは完全に『鬱の時代』に入ってくる。いまはユーロが元気いいですが、これも遠からず『鬱の時代』に入ってくるでしょう(本書/24~25P)」

 その後、欧州金融危機のあおりを受けてユーロは下落し、EU圏では市場原理主義が綻びを見せつつある。まさに世界は、五木が予言したとおりに動いているかのようだ。

 一方で、香山リカも、うつ病の急増と新型うつ病の登場を指摘する。香山も医者として「鬱の時代」を感知していたのだ。

 「鬱の症状はあるけれど、同時に刹那的な心地よさを求めている。海外旅行には積極的に参加し、行った先の非日常的な場面ではひととき鬱を忘れて、むしろアクティブに楽しくできる方もいるんですよ(本書/19P)」。4年前にはまだ『新型うつ病』という言葉が生まれていなかった。だから、用語そのものは使われていないが、描かれている症状は明らかに、いわゆる「新型うつ病」である。

 なぜ、うつ病患者が急増したのか。香山によれば、患者と医師の双方に要因があり、そこに新しい抗うつ薬の登場が決定的な後押し要因となったという。

 まず患者サイドの問題としては、うつっぽい気分を訴えて受診し、うつ病と診断されることを求める人が増えたことがある。医師サイドでは、うつ病の診断基準としてDSMが普及し、従来の診断基準が根底から覆された。香山が学生時代には「心因性」「内因性」「外因性」の区別を徹底するよう叩きこまれたが、こうした区別が一切放棄されてしまったのだ。

 そうした状況で、画期的な抗うつ薬SSRIが登場した。以前の三環系抗うつ薬とは違い、元気な人がのんでもある程度効く薬である。これにより「精神科の診療の現場では、『うつ病』と『鬱な気分』を区別しなくてもよくなった。どちらにしても結局、治療法はある種の薬を出すだけでよくて、まったくもって便利になってしまったんです(本書/55P)」と、うつ病治療現場の変化を香山は語っている。

 五木が予言した「鬱の時代」へのうねりは、ますます強まっているようだ。そんな時代を、どう生きるべきか。「鬱の時代には、鬱で生きる(本書/28P)」、つまり、うつであってもよいではないかと五木は主張する。

 「『鬱』という言葉を広辞苑(第五版)で引くと、第一義には、『草木の茂るさま。物事の盛んなさま』と書いてある。(中略)『鬱蒼たる樹林』とか、「鬱然たる大家」とか、『鬱勃たる野心によって明治の大業はなった』というときの鬱は、全部肯定的な表現です。だから僕は、無気力な人は鬱にならないと言ってるんだ(本書/29P)」。

 さらに「この時代に鬱を感じるということは、その人がとても繊細で、人間的で、優しい人間であることの証拠なんです(本書/30P)」とも説く。鬱を肯定的に捉えると、このように解釈できるのだ。

 では、どうすれば、本書のタイトルにあるように鬱が力となるのか。

 香山は次のように説く。「自分自身がもっと幸せになるためにも、もう少し利他的に振舞えたら、ということを私は最近よく考えます(本書/246P)」。

 五木の指摘も同様だ。「鬱の中には、憂鬱の憂、つまり『憂える』という意味があるでしょう。憂えるという気持ちは、まさに他者へ向けての発想です(本書/246P)」。

 たとえうつであっても、利他の気持ちを大切にすること。そしてうつを肯定的に捉えること。そのとき「うつは力」になるのだ。