その他のレビュー

竹林篤実のうつ病ブックレビュー
動物に「うつ」はあるのか

 書名が印象的だ。といって、一見しただけでは、意味がよくわからないかもしれない。そもそも動物に「うつ」があるかどうかが、なぜ問題なのか。そんなことを問い詰めることにどんな意義があるのか。タイトルからは、そんな疑問が浮かんでくる。

 ところが、著者が双極性障害の研究に関して日本のエキスパートであり、なおかつ臨床と基礎の両分野の研究をこなす稀有な研究者と聞けばどうだろう。少しは興味が湧いてくるのではないか。

 タイトルが投げかける疑問の意味は、まえがきでしっかり説明されている。「動物にうつがあるかどうか」になぜ著者は関心をもつのか。答えは、人の精神疾患を治すカギが動物にあるからだ。

 仮に、動物にも精神疾患があるとしよう。であるなら研究者は、動物の精神疾患をどうやって知るのだろうか。人の精神疾患のように、動物から話を聞いて診断することなどあり得ない。動物と言語を使ってコミュニケーションを図ることはできないのだから。

 では、動物の精神疾患を識別する手法が何かあるのか。コミュニケーション以外の方法があるとすれば、それは何らかの検査ということになる。もし、動物の精神疾患を客観的に判断できる検査法が開発されれば、人にも応用できるに違いない。これが著者の問題意識である。

 但し、ここまの話は良いとして、実はこの先に巨大な壁が立ちふさがっている。精神疾患を例えば「がん」のケースと比べてみよう。「がん」の場合は、解剖や分子生物学的解析などにより、その病態が医学的に明確に定義されている。

 「人から摘出したがんを動物に植えることで、人のがんを直接、研究することができます。糖尿病なら血糖を測れば、脳梗塞は脳を見れば、人と同じ病気であることが一目瞭然です。こうした動物を使ってどんどん研究が進み、診断法が見つかり、新しい治療法が開発され、私たちはその恩恵を受けているのです(本書/43P)」。

 同じことを「うつ」についてもやればいいわけだ。ことは簡単明瞭である。けれども、それができない。なぜなら、人の「うつ」が引き起こされるメカニズムは未だにわかっていないから。従って動物に精神疾患があるのかどうかも、現時点ではわからない。

 いま精神疾患を巡る状況は、決して良いとはいえない。「精神疾患では問診だけで診断をしている状況(本書/80P)」であり、「そのため、どうしても、評価者によって診断にバラツキが生じます。また、患者さんのその時その時の状態によって、質問に対する答え方が違ったりすると、その時点でいきなり診断が変わってしまうこともありえます(本書/80P)」。

 「精神疾患の定義は時代と共に変遷し、ひと口に定義することは難しく、健康と病気の境界線も明確ではありません。しかも、政治的な影響を非常に受けるところもある(本書/87P)」。

 状況を改善するためには、どうすれば良いのか。一日も早く精神疾患を、がんや糖尿病と同じように、医学的に定義しなければならない。スタートは、まず「現状の診断分類のもとで大規模なゲノム研究を行い、精神疾患を起こす稀な遺伝子変異を見つける(本書/106P)」ことだ。

 次に、その遺伝子変異をもつモデルマウスを作り、実験に取り組む。研究を進める上では人の死後脳の活用も欠かせない。基礎研究と臨床研究を交互に進めていくことも必要だ。

 うつは決して「心の病」などではなく、脳という臓器に起こる機能障害である。どのような原因によって、どんな機能障害が脳内で起こっているのか。動物実験を活用しながら、地道に研究を進めていくしかない。

 アルツハイマー病に関しては、偶然の助けもあり、原因物質が特定され、発症に至るメカニズムの解明も進んでいる。検査法が確立されつつあり、薬の開発も治験段階まで来た。同じことが精神疾患でも起こらないはずがない。

 「うつ」が血液検査や脊髄液の検査、あるいはPETによる診断などでわかるようになったとき、著者が理想と望む「心の病」がなくなる日が来る。そんな日が一刻もはやく来ることを祈りたい。