その他のレビュー

竹林篤実のうつ病ブックレビュー
心が雨漏りする日には

 中島らも、本名・中島裕之氏は、極めて多才な人だった。コピーライター、広告プランナー、エッセイスト、小説家、戯曲家、俳優からミュージシャンとしても活躍し、小説『今夜すべてのバーで』で吉川英治文学新人賞を受賞している。また、劇団『リリパットアーミー』を主宰し、晩年にはバンド活動も行っていた。

 一方で、らも氏は、アルコール依存症いわゆるアル中としてもとても有名だった。依存症になった原因は仕事である。人気作家となってからも仕事は一切断らない主義を貫いたため、殺到する注文をこなすのに酒の力を借りたのだ。やがて連続飲酒に陥り、遂にアルコール依存症となって入院する。その時の体験をもとに書かれたのが、小説『今夜、すべてのバーで』、転んでもタダでは起きない人なのだ。

 また、らも氏は若い頃からの薬物中毒者でもあった。2003年にはあるラジオ番組で海外滞在時の大麻喫煙体験を公言し、大麻取締法違反で逮捕されている。この時の体験は、後にエッセイ『牢屋でやせるダイエット』として出版された。

 2004年7月、友人のライブコンサートに飛び入り参加した後、神戸の飲食店の階段から転落して頭部を強打し、脳挫傷により死去。享年52、あまりにも破天荒な人生を送った、らも氏は、長年、躁うつ病にも悩まされていた。

 初めてうつ病を発症したのが30代の頃である。とにかく博学で、うつ病についての知識も医者顔負けだった同氏は、受診した精神科で「リタリン(2007年、厚生労働省がうつ病の治療薬から除外)」を自ら所望し、処方してもらう。初回だったから症状も軽かったのだろう、服用後一週間ほど寛解したようだ。

 その後、40代に入り、ほとんど家に帰れないほどのハードワークを続けた後にうつ病を再発する。この時は自殺念慮に襲われ、死を決意して仕事部屋を出ようとしたちょうどその時、様子を見に来たアシスタントにより一命を救われている。アルコール依存症も再発していたため、ただちに入院、50日間の療養生活を経て復帰した。

 しかし、病魔は極めて難敵だった。なぜなら、らも氏は単なるうつ病ではなく、躁うつ病だったのだ。まさに躁うつ病の典型で、長い間うつ病の症状だけが出た後、ある時突然躁転している。躁うつ病の診断が正確に下されるまでには平均で8年ぐらいかかるが、らも氏の場合は10年以上経っていた。

 その後、躁状態になったときにアルコール依存症を併発する。短期の入院で一度はおさまったものの再発、4度目の入院は70日間の長きに渡った。アルコール中毒と合わせて、らも氏の入院生活は生涯通算で6カ月を超えている。

 壮絶な闘病生活を送ってきたらも氏は、主治医からとんでもない仕打ちを受けてもいた。ありえない配合かつ異常な量の薬を与えられていたのだ。その副作用のため視力障害、ふらつき、失禁などに長年、悩まされ続ける。ところが歯科医の兄の勧めで薬をやめると、不快な症状はきれいさっぱり消えてなくなったという。後日談によれば、主治医自身もいささか精神に変調を来していたらしい。

 本書は、そんな中島らもの壮絶な闘病エッセイである。書かれている内容そのものは極めてシリアス、深刻である。けれども、らも氏は決して病気から逃げようとはしない。常に自分を第三者的視点からながめ、こっけいな自分をおもしろがる心のゆとりをキープしている。物書きを生業に選んだ人間だからこその業なのかもしれないが、自分を客観的に見つめる視点は、うつに悩む人の参考になるだろう。

 らも氏が何より心がけていたのは「自分の心を上手に飼いならす」ことだ。それができたからこそ壮絶な闘病生活を送りながらも、実に軽妙に、人生を飄々と駆け抜けていった。そんな同氏の思いは、本書の巻末に集約されている。

 「うつ病は確かに自殺に至る病ではあるけれど、予備知識があればそれは避けられる。癌に比べればちゃちな病気だ。君もかすんだ目で星空を見ろ。そして叫べ。『くたばれ、うつ病!』」。

 そう「くたばれ、うつ病!」である。