その他のレビュー

竹林篤実のうつ病ブックレビュー
「うつ」がこの世にある理由

 「この血糖値は明らかに異常、あなたは糖尿病です」。血液検査の結果と共に医師から告げられれば、自分が糖尿病であることを疑う人はいないだろう。処方された薬も、何の疑いもなく飲むはずだ。実際に薬は効く。確固としたエビデンスがある。

 同じことが「うつ病」と「抗うつ薬」に言えるのか。

 これが著者の問題意識である。実際問題として、うつ病のバイオマーカーはまだ存在しない。糖尿病の血液検査に当たるような検査方法が、うつ病にはないのだ。脳の画像データを調べてみても、うつ病の的確な診断は現時点ではできない。診断は個々の医師の経験と技術に委ねられている。

 だからといって著者が、うつ病がないと主張しているわけではない。そもそも自らが「うつ状態」に長年悩まされていると告白している。加えて著者はサイコセラピストとして、うつ患者に対応さえしている。ただ、マーケティング先進国の米国における「うつマーケット」に著者は疑問を投げかける。

 2005年時点で全米のうつ患者は2700万人にも上った。これは当時の全米人口2億9600万人の約9%にあたる。抗うつ薬には100億ドルが費やされた。これに医療費を加えたものが米国の「うつマーケット」である。マーケットの構成者は、患者と医者、そして製薬会社だ。

 本書の本筋は著者自らが、抗うつ薬の治験者となり、その効力を確かめる体験談だ。並行してうつ治療の歴史が、それこそ古代ギリシアのヒポクラテスまで遡って綴られていく。米国のうつマーケットの歴史も詳説される。話は輻輳しているが、丹念に読んでいくと、現状のうつ治療の問題点が浮かび上がってくるだろう。

 例えば、うつ病の診断基準について。現在、米国では「DSM-IV-TR」に基づいて判断される。「IV」が示すように、診断基準は1952年に策定されて以来、改訂を重ねてきている。現在も新版に向けた改訂作業が行われている最中だ。つまり数年後には診断基準が変わる可能性が高い。

 訂版が出ても基本的な診断方法は変わらないだろう。「患者が実際にどのように振る舞うか、どんな言葉を使って表現するか、どんな人間という印象をあたえるか―つまり、普通私たちが自分らしさと考えているもの―には、医師はいっさい注意を払わない(本書/P63)」診断法だ。

 治験に際して、著者もこうした診断を受けた。結果は大うつ病性障害、狙い通り著者は治験に参加する。薬を処方され4回にわたる診断を経て、医師は「ほら、点数を見て。良い結果ですよ(本書/P284)」と告げる。もちろん治験に参加している医師は、自分が処方している薬が本物かプラシーボなのかは知らされていない。従って医師の診断は、あくまでも診断基準(に基づいた医師の主観的判断)に基づくものだ。

 そこで著者は手元に残った薬を民間の試験所に送る。「2週間して報告が届いた。カプセルには魚油(新薬の成分)は一滴も入っていなかった。私はプラシーボを飲まされていたのだ(本書/P286)」。それでも症状は改善した。

 もとより著者の目的は、抗うつ薬を否定することではない。本書で触れられているのは、第3世代の「SSRI(選択的セロトニン再取り込み阻害薬)」まで。それでも効果のある薬の存在は認めている。その後登場した第4世代の抗うつ薬、副作用が少なく効果は高いとされる「SNRI(セロトニン・ノルアドレナリン再取り込み阻害薬)」については、何も語られていない。

 著者が指摘したいのは、あまりにも安易に自分をうつ病だと思い込む危険性だろう。と同時に、うつ病研究の一刻も早い進捗を願っているに違いない。日本でもうつ病の研究はまだ始まったばかりで、研究者も極めて限られているのが現状だ。研究者を増やし、研究の厚みを増していくことで、うつ病の解明と予防、そして的確な治療体制が確立されることを望みたい。