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アイルランドの伝統音楽は、日本でいう『民謡』のような位置づけです。曲の種類は多岐にわたり、例えば、様々な拍子で演奏される軽快なダンス音楽や、ゆったりとした抒情詩的なアリアなど何千もの歌曲があると言われています。『ダニー・ボーイ Danny Boy(ロンドンデリーの歌 Londonderry Air)』や『庭の千草 The Last Rose of Summer』、『春の日の花と輝く Believe me, If all those endearing young charms』といった曲などは、学校の音楽の教科書にも出てきたり、テレビのコマーシャルの中で使われたりして日本でもお馴染みですが、実はこれらの曲はすべてアイルランドの民謡なのです。
こういったアイルランドの伝統音楽は何百年もの昔から、譜面という形ではなく口承で伝わってきました。そのため、各地に在住するミュージシャンたちによってバラエティに富んだ編曲がなされ、同じ曲を演奏していても演奏者によって全く雰囲気が違って聞こえる、なんてこともあるほどです。そういったユニークさがアイルランド伝統音楽の特徴の一つであり、人々に今日まで愛されてきた大きな理由でもあります。
アイリッシュミュージックと切っても切れない場所、それがアイリッシュパブです。『パブ』は<パブリック・ハウス>の略称で、『公共の家』という意味があります。その名の通り、パブは地元の人々にとっては大事な社交の場であり、町の“リビングルーム”的な役割を果たしてきました。特に地方におけるパブと伝統音楽の関係は密接で、夜になればあちこちのパブでアマチュア・プロミュージシャンによる楽器の演奏が行われています。
先日の夜も、自宅近くのパブへぶらっと足を運んでみましたが、アイリッシュミュージックのセッション(合奏)がすでに始まっており、お酒やおしゃべりを楽しみに来た地元住民たちが、それぞれ音楽に合わせて歌ったり聞き入ったりして楽しんでいました。パブのみならず、アイルランドの街を散策すれば「バスカー」と呼ばれるストリートミュージシャンの姿を見かけることもあります。
更にアイルランドは、伝統音楽を聴くだけではなく自ら<学ぶ>機会も多くある国。というのもこの国ではアイルランドの伝統楽器を巧みに演奏する人が多く、周りの身近な人々——親や祖父母といった家族、親戚、近所の人、といった人たちから楽器を習ったり、学校で学んだり、パブで曲を見聞きして覚えたりできるからです。そういった環境で育ったアイルランドの子どもたちも、自然に伝統音楽に慣れ親しんでいくのです。
伝統音楽を教える専門の音楽学校も、都市部や地方を問わずたくさんあります。そこでも、親たちが先生にまかせっきり、というわけではありません。保護者も率先して先生たちや学校の運営を手伝います。技術習得を第一とするはずの音楽学校でも、地域と密接な関係を保ちながら育ってゆくものだと信じられているからです。
アイルランドの伝統音楽を演奏する時に使われる伝統楽器の種類には様々なものがあり、子どもたちの興味を引きつけています。フィドル(バイオリン)や黒い木製のアイリッシュフルート、ブリキでできた笛ティンホイッスル、叩くと心臓の鼓動のような音が響く平たい太鼓バウローン、アイルランドの国章にもなっているアイリッシュハープなどなど数え切れないほど。特に、ティンホイッスルは小学校の音楽の時間でも習う、一番身近な伝統楽器ともいえるでしょう。
こういった様々な楽器を手に、子どもたちが伝統音楽を楽しげに練習している姿を見ていると、将来のアイリッシュ伝統音楽は安泰のように思えます。しかしその一方で、伝統音楽を30年以上教えているという私の知人、ディアドラ先生は将来のアイルランド伝統音楽の行方が少し心配だと言います。近年都市部から片道3時間も4時間もかけて、彼女の指導を毎週受けに来る子どもたちが増えつつあるというのがその理由です。
ディアドラ先生いわく「もともとアイルランドの伝統音楽は音楽が生まれたその場所で、そこでのコミュニティーと一緒に発展してきたもの。その地域で育まれるはずの伝統音楽を、わざわざ遠くの先生に学ぶのは本来のアイリッシュミュージックのあるべき姿から外れてしまう。この国の伝統音楽はそれぞれの土地で、そこに住む人々や生活・風土の中で強く結びついて生きてきたものなのだから」なのだそう。
とはいえ、アイルランド伝統音楽は今やアイルランドを飛び出し、姿かたちを変化させながら、世界の国々で愛され演奏されるようにもなっています。昔ながらのアイルランド音楽独特の伝統を守りつつ、現代に合った方法でアイリッシュミュージックを世界で輝かせ続けてゆくことが、これからの子どもたちに託された課題なのかもしれません。