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| これまで数百件の家庭を実際に訪問して、調査を進めてきましたが、研究を進めれば進めるほど、頭のいい子が育つ家とは、つまり子どもを健やかに育む家であり、それは何も「立派な子供部屋」ではなく、五感(視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚)が満足できる空間だということを実感しています。 それは、単に間取りをどうするとか、家具の配置をどうするなどといった、家作りのハードに関する問題にかかわるものではありません。家族がどんなものを食べているかという「食」、そしてどんなものを着ているかという「服」、どんなものを買っているかという「購」。つまりは、ライフスタイル全般にかかわるものだったのです。 |
| 以前、研究会で、東大合格日本一を誇る開成中学を訪問したことがあります。この学校を訪れたとたん、先生がいたずらっぽい笑みでこう話されました。 「四十万さん、開成では絶対に教えられない、家庭でしか教えられないものがあるんです。それは何だと思われますか?」 答えに詰まる私に、先生は「実はそれは“お袋の味”です」と教えてくれました。 「中学に入学した生徒は12歳。まだまだ親に甘えたい年頃です。そんな子どもにとって、お弁当は母親の愛情の証です。お弁当を食べることで、親から愛されていることを実感できる。“お袋の味”を知らない子どもは気の毒だと思います」とのことでした。 何でも昔は、アルミの弁当箱に白いご飯に梅干という“学校指定”まであったそうです。メニュー指定こそありませんが、今でも開成中学には、食堂がありません。生徒たちは毎日“お袋の味”を感じています。 しっかりしたお弁当を毎日作る家は、きっと家族で一緒に夕飯を囲んでいる家だろうと思います。今日あった出来事をいろいろと話しながら、家族で夕飯を囲む。こんな毎日のなにげない習慣が、子どもにとっては自分の居場所、よりどころを実感させ、情緒の発達に大切な役割を果たしているのだと思います。 |
| 子どもが健やかに育つ家の研究を進めれば進めるほど、いろいろなことを考えさせられます。頭のいい子のほとんどは、立派な個室を持っていません。皆、リビングに机を置いたり、和室で座って勉強したりしています。ただ、共通しているのは、どこかに家族の気配を感じながら、自分の居場所を見つけて、そこで落ち着いて勉強しているということでした。 ハウスメーカーのカタログを見ると、どれもこれも傷一つ、しみ一つない美しいピカピカの家ばかりが並んでいます。ピカピカのキッチン。統一されたインテリア。しかし、そこには暮らしの気配が感じらず、親しみがもてません。 家は住んでみて、初めて自分のものになります。傷をつけないように、インテリアを損なわないようにビクビクして暮らしているようでは、家に支配されているようで本末転倒という気がします。 |
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| 日本人きってのジェントルマンと言われる白洲次郎が暮らした家「武相荘」を訪れたとき、柱にたくさんの傷があるのを目にしました。おそらく子どもたちが丈比べでつけたであろう傷に、「家とは住み手が主人公である」という白洲次郎の考えを見たような気がしてうれしくなりました。 インテリア雑誌全盛の昨今ですが、家とは人間が生活する空間です。「生活感のない家」というのはどこかおかしいと思うのです。人間が暮らしていれば床に傷もつきます。敷物だって擦り切れてきます。でも、それこそが家族の歴史ではないかと思うのです。 戦後の日本人の家作りは、あまりにも機能を充実させること優先させてきていて、住まい手のことをあまり考えてこなかったように思います。 子どもが健やかに育っている家は、皆、お母さんが笑顔で家族の中心にどっしりと陣取って、子どもたちは皆、おおらかに受け止められ、守られているように安心して暮らしていました。 家族がそれぞれ思い思いのことをしながら、互いの気配を感じて暮らす家。子どもが健やかに育つ家とは何か。自分たちの家に子どもの居場所はあるか。もう一度、家族で考えてみていただきたいと思います。(談) |