変革を遂げられたポイントは、変革期にも新規事業への投資ができたこと

細川:富士フイルムが変革した一番の起爆剤は何だったんでしょうか。

吉沢:「真の危機感」でしょう。変革はビジネスがうまくいっている時にはできないと思います。富士フイルムも1980年代の後半から、いつかアナログフィルムはなくなると想定し、デジタル化、多角化を進めていました。デジタルカメラも1980年代から作っていましたし、レントゲンフィルムに代わる世界初のFCRシステムというデジタルX線画像診断システムも80年代から出して、デジタル化対応をしてきました。でも本業が儲かっていたら真剣にはできないですね。真剣さに欠けるところはありました。

技術と財務に余力あったということも大きかったです。土俵際に追い込まれてからでは、変えることはできません。構造改革にはお金も必要です。累積で3,000億円以上使ったと思います。

同時にフラットパネルディスプレイのTACフィルムやメディカルの医療機器、フォトレジスト、医薬事業などの新規の事業に投資もしました。写真フィルムのベースで培った技術からできるTACフィルムが、キャッシュを稼いでくれる製品でしたから。液晶テレビの急成長の波に乗って、一時はTACフィルム関係ビジネスでかなりの利益を稼いでくれました。

変革を支えたのは、技術者の努力による技術のイノベーション

細川:変革した時に内部留保があって、投資ができたんですね。

吉沢:それに加えて、非常に難しい技術や生産のノウハウなど、写真関連技術を他で活かせたということと、優秀な技術陣の層が厚かったということもあると思います。もともとグローバルマインドにチェンジできる素質のある人材、つまり、スキルとマインド面で鍛えられた人材が多かったと感じます。

今でも医薬事業に再生医療も含めて、力を入れているのですが、もちろん外から採用してきた人たちもたくさんいますが、多くは富士フイルムの写真の研究をしていた技術者たちが一生懸命勉強をして、転換しました。

結果的にみると転換に時間はかかりましたし、もちろんまだ道半ばです。始めた当初「富士フイルムが医薬なんかやって、うまく行くわけがない」とよく言われました。「大丈夫ですよ」と答えていた私も多少は大丈夫かな?と思うところもありましたが、今のところ大丈夫ですね。

富山化学工業や医薬の会社など、業種が違うところを買収しましたが、生産プロセスや生産技術や梱包材料などに想像以上にシナジーが出ています。医薬業界はコストに対して若干無頓着かもしれません。いい薬を作って高い値段がつけば、コストを下げる必要がありませんからね。買収先に当社のエンジニアが入りこんで効率的な経営に変えてきました。富山化学工業もすごくコストが下がりましたよ。

細川:生産管理がすごいんですね。

吉沢:生産技術でしょうか。カラーフィルムなどの感光材料は極秘なんです。ノウハウの塊で、自前でつくっていたので、そういった生産プロセスの技術のノウハウが社内に残っていました。

自分たちで製造装置を作っていたから、医薬などにも応用ができます。合成釜などは、医薬の合成に近いところもありますので、それは非常に使えたと思いますね。それを上手に使おうとした人たちがたくさんいたということだと思います。

細川:技術のイノベーションということですね。

吉沢:そうですね。新しい業態に移るときには、技術のシナジーとイノベーションがまずありました。