細川 馨
ビジネスコーチ(株) 代表取締役

細川:富士フイルムに入社された動機を教えてください。

吉沢:富士フイルムが高収益企業になりつつある時期に事務系で入社しました。採用されたのは20人ほどでした。寡占業界で競合が少なく、20人くらいしか採用しないのであれば、大企業らしくなく、入ってからも楽かなという不純な動機も正直ありました。

ところがいざ入社してみると、全く楽ではありませんでした。人数が少ないということは、一人ひとりの仕事のテリトリーが広いということでした。そういう意味では若い時から責任を与えて鍛えてくれる会社でした。少数精鋭で、上下左右、互いの関係が深いところで仕事ができました。

細川:一人ひとりを大切にする社風なんですね。

吉沢:正直に、誠実に働いていると評価される会社なので、余計なエネルギーは使いません。逆にそれが「飛び出さない」「金太郎飴」、ヒラメ的な社員が少々多いことに繋がっているともいえます。

最近10年、本業であった写真関係のビジネスがなくなりましたので、人も大きく入れ替わり、マインドも変わりました。21世紀になって社員の考え方は大きく変わったと思います。写真が全盛期の頃は保守的で前例踏襲型で、何かを変えるということに対して、非常にエネルギーが必要な会社でした。

特にカラーフィルムなどの主力製品は寡占でしたので、むずかしい戦略は必要ありませんでした。コダックを追随し、グローバルでは2番目の戦略をとることが重要でした。一方で国内では圧倒的なシェアでしたから、守る側でした。

ところが、21世紀に入って、2001〜2005年の5年間で写真ビジネスの8割くらいがぶっ飛んだのです。写真ビジネスだけではありません。レントゲンフィルムでも圧倒的に高いシェアを持っていましたし、新聞の版を作るのもフィルムが沢山使われていました。デジタル化の影響は、大きかったですね。

その時に古森(当時社長)が業態を変える決断をしました。私はラッキーなことに、経営企画部の一部長として改革に係わり、いろいろと勉強することができました。

富士フイルムと富士ゼロックスを事業会社にした富士フイルムホールディングスという持ち株会社に移行し、コーポレートガバナンスのやり方を変えたり、本社を東京ミッドタウンに移転したり、ロゴや企業理念も変えるなど、これでもかというほど変えました。大変でしたが面白かったですね。とてもいい経験になりました。

その後、2007年からIR室長になって古森CEOやCFOのお伴をして海外投資家を回る中で、会社の方向性や戦略、経営者の考え方を聞いたり、議論する機会に恵まれました。4年間やっていましたが、それも大変有意義でした。

富士フイルム株式会社
吉沢 勝(よしざわ・まさる)
富士フイルム株式会社 執行役員
1957年生まれ、長野県出身。京都大学経済学部卒。
1980年4月 富士写真フイルム株式会社入社
2004年6月 経営企画部 担当部長
2006年6月 経営企画本部 持ち株会社設立準備室長
2007年4月 富士フイルムホールディングス株式会社 経営企画部 IR室長
2012年6月 富士フイルム株式会社 人事部長 兼 富士フイルムホールディングス株式会社 人事部 人事グループ長
2013年6月 富士フイルム株式会社 執行役員 人事部長 兼 富士フイルムホールディングス株式会社 人事部 人事グループ長
2014年6月 富士フイルム株式会社 執行役員 人事部長 CSR推進部 管掌 富士フイルムホールディングス株式会社 執行役員 経営企画部 副部長 CSR 管掌 人事部 人事グループ長
2015年6月 富士フイルム株式会社 執行役員 人事部長 総務部・CSR推進部 管掌 富士フイルムホールディングス株式会社 執行役員 総務部長 兼 経営企画部 副部長 CSR 管掌 人事部 人事グループ長
趣味は、読書、ジョギング。