細川 馨
ビジネスコーチ(株) 代表取締役

細川:まずは、大学卒業後、どのように過ごしてこられたのかをお聞かせください。

河北:自分が本当にやりたいことを見出せないまま、流されるまま大手文具メーカーに入社しました。ご縁があると思って、自分を一番必要としてくれた会社に入ったのです。向いていない仕事を担当したこともありましたが、我々の世代は「石の上にも3年」でしたから、その中から面白い面を見つけて取り組んでいました。

 転機は、改善提案をしたときに訪れました。提案を受けた上司の方が「女の子はそんなに頑張らずに、ほどほどでいいんだよ」とおっしゃったのです。決して悪気があったからではなく、親切心から言ってくださったのですが“女の子はほどほどで”“頑張らなくても良い”のどちらも初めて受けた言葉であり、私はとても驚きました。

 そこから自分への問いかけが始まりました。「本当にこれでいいのか」「自分は何をしたいのか」「組織に入って、面白くない仕事を少し面白くするくらいでいいのか」と。

 そう問いかけながら入社から4年後、転職という形ではなく、結婚退職をしました。3カ月の専業主婦期間の後に、「あなたは人の仕事が向いている」と外資系の人材派遣会社を薦められ紹介いただきました。当時の私にはそのことが全く理解できませんでしたが、ただ、新しい世界だし、何かあるかもしれない。これもご縁だと入社を決めました。

 すぐに、トレーナーチームに入りましたが、いろいろな仕事を経験できるそのチームは、やりたい仕事向いている仕事を見つけたかった私にぴったりでした。刺激になる先輩も沢山いました。また何が意外にできて、何にモチベーションが上がらないのかなど、自分を知る良い機会でした。その多くの経験の中から、最終的に教育を選んだのです。やはり人が成長していくのが好きなのですね。

 それから、車の交通事故で火傷を負い生死の境目をさまようことになり、その会社を辞めることになってしまいました。本当にひどい怪我で何度も手術を受けたりしましたが、その時の私はとても冷静で、快活でモチベーションも高かったのです。でも今振り返ると、ピンチだったからこそ冷静でいられたのかもしれないですね。その後、出産と離婚を経験しました。

細川:大きな事故がトラウマになってしまう人と、それを転機としてポジティブに生きる人がいますが、河北さんは後者ですね。

河北:私は本当に幸せ者ですね。

河北:その後、コンサルタントとして独立し、早々に軌道に乗せることができました。途中からトヨタ自動車のブランドの転換、販売チャネル変革(オート店からネッツ店への転換)のプロジェクトに6年間携わりました。

 最初のマーケットリサーチや多数の店舗視察から入り込み、カーディーラーについての負のイメージの正体とは具体的に何か?お客様として女性として何が嫌で何を望むのか?顧客調査やディスカッションを通して、どういう売り方がいいか、どのようなコミュニケーションスタイルがいいかを考えました。全国展開でしたから、マニュアルやビデオもつくり、新教育システムを開発し、現場に出向き、コンサルティングや研修、OJT支援をしました。新しいブランディングの構築及び浸透企画から、全国のディーラーの現場が大きく変革する一連の活動すべてに長期的に関わることができ、顧客と共に新しいコミュニケーションを創りだしブランドを育んでいくというとても素晴らしい経験をさせていただきました。

日本女子経営大学院
河北 隆子(かわきた・たかこ)
日本女子経営大学院 代表理事 学長
イノベーションアソシエイツ株式会社 代表取締役Co-CEO
1960年東京生まれ。総合オフィスサプライヤー企業、外資系人材派遣企業を経て、コンサルタントとして独立し、大手自動車会社の販売チャンネル変革プロジェクトのプログラム開発、展開のコアパートナーとして活躍。その後、コーチングプロジェクトCSC代表を経て、人と組織の持続的な学習成長、イノベーション創出と定着化の支援を得意とする組織風土コンサルティング会社、イノベーションアソシエイツ株式会社を2003年創業し代表取締役Co-CEO。生涯学習開発財団認定コーチ、GIAL認定シニアアクションラーニングコーチ、ジョージワシントン大学大学院コース修了。日本メンタルヘルス協会心理カウンセラー基礎認定、文部科学省学校力向上教材開発検討委員。企業、教育現場、医療機関、自治体他、多様な産業において、人材開発、組織開発、リーダーシップ育成、女性活躍支援などに従事。人と社会(組織)が循環して起こす、幸福で共創的な日常のイノベーションの創出のために、自由で多様性のあるビジネスに挑戦している。
日本女子経営大学院:http://wis-japan.org/