意味の分からない肩書連発で、本当にいいのか?

 肩書がなくなったら、モチベーションが下がるということで、肩書を欲しがる人が多いようです。Aさんの会社も、担当部長、専任部長、参事など、いろいろな肩書が付いています。60歳を超えての再雇用者も肩書を欲しがる人が多いので検討中という話がありました。

 10年くらい前でしょうか、私も肩書の意味が分からなくて、担当部長という名刺を出された方に「部長との違いは何ですか」と聞いてしまったことがあります。そして、その答えに「管理職ではないのですね。分かりにくいですね。元部長とか書いた方がいいですね」と言ってしまったことを思い出します。きっとプライドを傷つけてしまったに違いありません。

 しかし、私は、実質的な立場とは違う、プライドを尊重するだけの肩書は止めるべきだと考えます。役職を降りても、その人の価値は変わらない。だからこそ、役割を降りたという自覚を持って自分の存在価値を見いだしていくことを一人ひとりがやるべきです。名刺だけで、あたかも役職者のように見せることは、実は本人を取り巻く現実から逃避させ、働き方、生き方の変えていくことを邪魔します。いつまでも、管理職だった過去の自分に固執することになるからです。

 この肩書にこだわる役職定年者は圧倒的に男性に多いのです。特に昭和世代の男性は管理職になることは偉くなることで、管理職から降りることは偉くなくなる、つまり自分の価値が下がったように思ってしまいます。女性の場合は管理職を役割と認識しています。例えばPTAの役員を役割として引き受けるのと同じです。その役割が解かれた、それだけのことです。だから肩書にこだわる人は少ない。

 しかし、役職定年の方々を含めて50代にどのように働いてほしいのか、どのようなキャリアを育んでほしいのかということを、しっかりと提示できている会社はほとんどありません。だから、自分の役割や目標を見失い、路頭に迷い、モチベーションが微妙な状態の50代が増え続けています。

50代は登山ではなく、下山の始まりです

 「役職定年になっても、同じ労働ができるんだから、給料が下がるのはおかしいだろ。『同一労働=同一賃金』なんだから給料を下げるなんて不当だ」

 Part1でのディスカッションの後に、大声で話し出した50代の男性がいました。元労働組合の委員長で役職を降りたばかりで、「一人担当」で仕事をするようになったようです。周囲の人がドン引きしていることにも気付かず、持論を展開する姿に寂しい「昭和企業戦士」の姿を見ました。

 昭和をひきずる50代は、年功序列で働いてきた世代。長く働く人の給料が増えて、偉くなるのが当たり前でした。例えば同じ労働をしていても、長くやっている高年齢者の給料が高くなります。「同一労働=同一賃金」は同一の仕事(職種)に従事する労働者は皆、同一水準の賃金が支払われるべきだという概念です。ある意味、年功序列と相反するものです。これを受け入れられずに自分勝手な解釈をしてしまったようです。

 しかし、彼のように役職定年で給料が70%、定年の再雇用においては、給料が初任給並みになってしまということに直面して初めて焦りだす50代が多いのも事実です。役職定年の年齢は今は55歳ですが、今後はもっと下がるかもしれません。50歳が役職定年。そこからは給料もポジションも上がらず、逆にどんどん下がっていきます。つまり、会社における「働くキャリアの登山」は終わり、下山が始まることを誰もが受け入れなくてはなりません。それが嫌なら、会社を辞めるという選択をするしかありません。