• ビジネス
  • xTECH
  • クロストレンド
  • 医療
  • TRENDY
  • WOMAN
  • ショッピング
  • 転職
  • ナショジオ
  • 日経電子版
  • 日経BP
21世紀医療フォーラム 良い医者、良い医療を創るプロジェクト
トップページ医療コラム矢部武の「孤立死」から「自立死」へ高齢者の「安楽死」について考える ~104歳の科学者がスイスで自死~

矢部武の「孤立死」から「自立死」へ Vol.77

高齢者の「安楽死」について考える ~104歳の科学者がスイスで自死~

2018.05.30 ジャーナリスト 矢部 武

去る5月10日、104歳のオーストラリア最高齢の科学者、デビッド・グドールさんが「これ以上、生きたくない」とスイスへ渡航し、自らの意思で死を迎えた。末期症状の重病を抱えていたわけではなかったが、身体機能が衰えて自立した生活ができなくなったことが主な理由だったという。

グドールさんは命を絶つ前日、「ここ何年か体の衰えや視力低下が進み、QOL(生活の質)が落ちて、人生が楽しくなくなった。この状態でこれ以上、生きたいと思わない。明日死ぬことができるのはうれしい」と記者団に話した。

翻って日本では、過剰な延命治療を避け、人間の尊厳を保ちながら命を終える「尊厳死」や、尊厳死を選択する生前の意思表示「リビングウィル」などについては議論されているが、「安楽死」を認める法制化の議論はほとんど進んでいない。

そうした状況の下、脚本家の橋田壽賀子さんが「私は安楽死で逝きたい」と題する記事を『文芸春秋』(2016年12月号)に寄稿。その中で、「日本も安楽死を認める法律を早く整備すべきだ」と主張して、大きな反響を呼んだ。橋田さんには読者から、賛同する手紙がたくさん届いたという。

実際、日本人の多くは安楽死を肯定的に捉えており、朝日新聞の世論調査でも、7割以上が安楽死の法制化に賛成している。それにもかかわらず、日本にはなぜ、安楽死を認める法律ができないのだろうか。

無理やり生き続けることを強いるのは残酷

植物学者で生態学者のデビッド・グドールさんは第一次世界大戦が起こる3カ月前の1914年4月、ロンドンで生まれ、子どもの時にオーストラリアへ移住した。イギリス、アメリカ、オーストラリアの大学で教鞭をとったが、1979年にフルタイムの職を定年退職してからは、オーストラリアのエディスコーワン大学で名誉研究者として生態系の研究を精力的に続け、そのかたわら、学術書『世界の生態系シリーズ』30冊を編纂。その功績が認められて、2016年に科学分野のオーストリア勲章を授与された。

しかし、その少し前から身体機能の衰えが目立つようになり、グドールさんは大学側の助言に従い、自宅に近い職場(研究所)に移ることを余儀なくされた。その結果、長く親しんだ同僚(他の研究者)や友人たちと会えなくなり、仕事や人生への意欲を失っていったという。

グドールさんと一緒にオーストラリアからスイスへ渡航した安楽死推進団体「エグジット・インターナショナル」のキャロル・オニール代表は、「それが彼の“幸せな人生”の終わりの始まりでした」とBBCニュースに語った。
その後、グドールさんは思いがけない不幸に襲われた。一人暮らしをしていた西オーストラリア州パースのアパートで転落事故を起こして身動きが取れなくなり、2日間発見されなかったというのだ。事故の後、医師に24時間ケア体制の老人ホームへの入居を強く勧められたが、グドールさんはそうしなかった。

オニール代表はその理由を、「彼は自立した人間なので、介護者を含め誰かがいつも自分の周りにいるのを好みません。ひとりで好きな時にバスに乗って、ぶらっと町に出かけられるような自由な生活を求めていたんです」と説明した。

しかし、「もはやそれは叶わない」と知ったグドールさんは絶望して自殺を図ったが、死にきれず、目を覚ましたのは病院のベッドの上だった。そして医師に「自殺願望がある」と判断され、精神鑑定を受けるまで退院させてもらえなかったという。

このような病院の処置に対し、グドールさんはCNNのインタビューで、「人に生きる目的がなくなっても、無理やり生き続けることを強いるのは残酷だ」と話した。それから、以前に加入した「エグジット・インターナショナル」の支援を受けて、スイスで安楽死することを決断した。

オーストラリアでは、医師会(AMA)が「医師が“自殺幇助”を行うのは倫理に反する」と強く反対していることもあり、安楽死は認められていない。でも、最近は状況が少し変わってきて、ビクトリア州など一部の地域では2019年半ばから安楽死が認められる予定だというが、グドールさんが住んでいた西オーストラリア州ではその目途は立っていない。 

グドールさんはスイスで安楽死する前日の記者会見に、「醜態をさらして年を取る」(Ageing Disgracefully)という文字の入ったジャンパーを着て現れた。そして、「オーストラリアで最後を迎えたかった」と述べ、こう続けた。

「これは他の誰でもなく、私自身の問題です。明日、私は死を迎えられることをうれしく思います。私の年齢になったら、いや私より年下の人たちも含めてですが、自分がいつ死を迎えるかを自由に選びたいと思うのではないでしょうか。私の行動がきっかけとなり、この問題についての議論が活発に行われるようになって欲しいと思います」。

その翌日、グドールさんは安らかに死を迎えた。安楽死の処置室では彼の希望を受け、「歓喜の歌」として知られるベートーベンの交響曲第9番が流され、グドールさんはドイツ語で少し口ずさんだ。それから医師が鎮痛麻酔薬「ペントバルビタールナトリウム」が入った静脈注射針を腕に刺し、グドールさん自らが投薬を開始した。そして第9番が終わる頃に静かに息を引き取ったという。

このコラムニストの過去の記事

コラムニストプロフィール

矢部武 ジャーナリスト

1954年、埼玉県生まれ。米アームストロング大学大学院修士課程修了。1974年に渡米。「ロサンゼルスタイムス」紙 東京支局記者などを経て、フリーランスに。現在は、日米を行き来しながら、高齢者、雇用、健康、社会問題などをテーマに、取材・執筆活動を続けている。著書に『60歳からの生き方再設計』、『ひとりで死んでも孤独じゃない~「自立死」先進国アメリカ』、『携帯電磁波の人体影響』、『日本より幸せなアメリカの下流老人』など多数。