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21世紀医療フォーラム 良い医者、良い医療を創るプロジェクト
トップページ医療を変えるレジデントとして過ごした国立循環器病研究センター 自分の原点であり、常に意識していた場所

レジデントとして過ごした国立循環器病研究センター 自分の原点であり、常に意識していた場所

国立研究開発法人 国立循環器病研究センター理事長 
小川久雄 氏 第1回

2017.02.16 取材:21世紀医療フォーラム事務局長 阪田英也 構成:同取材班 但本結子
小川久雄 氏
小川久雄(おがわ ひさお)氏
1953年生まれ。1978年 熊本大学医学部卒業。同年、熊本大学第二内科入局。1981〜1984年 国立循環器病センター(現 国立循環器病研究センター)にレジデントとして勤務。1984年 熊本大学循環器内科。2000年熊本大学循環器内科学教授。2011年〜2015年 国立循環器病研究センター副院長兼任。2016年より現職
○受賞
2013年 井村臨床研究賞
2016年 日本医師会医学賞
○所属学会
日本循環器学会代表理事(2014年4月~2016年6月)
日本心臓病学会理事 日本脈管学会副理事長 日本医学会連合理事ほか

心臓病や脳卒中など循環器病を対象とする高度専門医療研究施設として、1977年設立、2010年に独立行政法人へと移行した国立循環器病研究センター(以下、国循)。2019年には吹田市操車場跡地へ移転する予定で、同センターを核とした医療クラスター「北大阪健康医療都市」、愛称「健都(KENTO)」は、循環器病分野の予防・医療・研究で世界をリードする地域を目指す。

50年に一度といわれるこのビッグプロジェクトには研究や治療、人材育成に加え、民間企業との連携も求められるが、その難しい舵取りを任されたのが、同センター新理事長の小川久雄氏である。

連載5回の第1回は、国循との関わり、熊本大学循環器内科教授との兼任から理事長への転身に至る経緯などについて、小川久雄氏にお話を伺った。

国循は忘れられない自らの原点
人脈を活かして多施設共同研究を実現

小川先生は熊本大学医学部のご出身ですが、国循との関わりについて、教えてください。

小川 熊本大学を卒業して大学院と市中病院での勤務を終えた後、国循で過ごした1981年から1984年までの3年間が、私の循環器診内科医としてのスタートです。当時、熊本大学の関連病院があった天草は今とは違って僻地でしたから、田舎の病院から勉強しようと大阪へ来たものの、大きなカルチャーショックを受けたことを覚えています。

国循の試験は非常に難しくてなかなか入れないといわれていましたが、幸運なことに私の時代はペーパー試験がなく、面接試験だけで済みました。私が熊本大学に戻った年にペーパー試験が始まったので、周囲からは「君はペーパー試験がなくて良かったね」と言われたものです。というのも、私は循環器診療の経験がなく、他のレジデントに比べて知識もスキルも劣っていました。ただ、今から思えばゼロからスタートしたことが幸いして、砂地に水が染み込むように何でも貪欲に吸収し、学ぶことができたと思います。「スタート時は一番レベルが低かったものの、伸び代は一番高かった」と後から言われたことも、嬉しい思い出です。

そもそもなぜ国循に行くことになったのですか。

小川 天草という田舎では月1回の製薬会社の人がもたらす話しか情報がありません。ある時、製薬会社の人に何か変わったことがないかと聞くと、「とびきり面白い話があります。小川先生の教室の教授がいなくなりますよ」と言うのです。私が師事していた岸本進先生はまだ定年ではないし、おかしいと思って話を聞くと、岸本先生は母校の大阪大学で第三内科教授に就くことがわかり、それから教室は混乱しました。

教室の先輩たちに自分はこれからどうなるのかと聞くと、「それどころじゃない。君はずっと天草にいなさい」と言われて、これはひどいと(笑)。思い出すと笑い話ですが、国循に行きたいと直訴したら、岸本先生は病院長宛に紹介状を書いてくれました。

採用されるにあたって、岸本先生の紹介状が大きく効いたということでしょうか。

小川 もう一通、基礎研究の教授でノーベル賞候補にもなった林秀男先生にも、国循の初代研究所長だった岡小天先生宛に紹介状を書いていただきました。私は大学時代に野球をやっていた関係で林先生を知ったのですが、2通の紹介状だけを持って乗り込んだようなものです。

採用が決まったもう一つの理由は、面接での発言でしょうね。レジデントは住み込みのようなもので家には帰れないし、給与が安いから既婚者は雇わないと言われたところ、「私がいた田舎の病院は人材不足だったから給与が高くて、お金はたくさん持っています。ここの給与だけでやっていけます」と胸を張ったのです。結局、それが決め台詞になって採用が決まりました。

他のレジデントに比べて、スキルや知識が劣っているといわれましたが、その当時、小川先生はどんなことをお考えでしたか。また、国循でのレジデント経験で得たことはなんでしょうか。

小川 レジデント時代から現在に至るまでずっと、「臨床のエキスパートになりたい」「心臓病のエキスパートになりたい」と思い続けてきました。

国循は忘れられない私の原点です。熊本に戻ってからも常に国循を意識していましたし、例えば、国循が有する多数の症例を用いて研究ができればそれに越したことはありませんが、叶わないからせめて熊本県下の全症例を集めれば、国循に匹敵する研究ができると考えて始めたのが多施設共同研究です。

この多施設共同研究を本格的にスタートさせたのは1994年です。これに先駆け、熊本大学に循環器内科が新設されたのが1984年で、八代総合病院(現 熊本総合病院)に一年勤務したものの、その後一貫してこの循環器内科で過ごし、技術も性格も知り尽くした医局の仲間と共に熊本大学での多施設研究を立ち上げました。さらに、日本では不可能といわれた全国データ多施設共同研究が実現できたのは、国循でレジデントを経験した仲間が全国に散らばり、その人脈があって初めて可能になったと思っています。

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