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21世紀医療フォーラム 良い医者、良い医療を創るプロジェクト
トップページトップインタビュー日本の基礎医学の巨人にして、人生の達人 恩師・早石 修先生を偲ぶ

日本の基礎医学の巨人にして、人生の達人 恩師・早石 修先生を偲ぶ

2016.05.19 聞き手・構成:21世紀医療フォーラム事務局長 阪田英也

昨年12月17日に逝去された京都大名誉教授、文化勲章受章者の早石修(はやいし・おさむ)氏を偲ぶ会が、6月18日(土)15時30分〜、京都大学百周年記念ホール (京都市左京区吉田本町)で開かれる。

早石氏は、呼吸による酸素と体内の化合物が直接結びつく反応を手助けする「酸素添加酵素(オキシゲナーゼ)」を発見し、生体内酸化の従来の概念を変える業績を残した日本の基礎医学の巨人。1942年(昭和17年)年、大阪帝国大学医学部を卒業し、戦後間もない1949年(昭和24年)に米国ウィスコンシン大学へ留学。

カルフォルニア大学バークレー校、米国立衛生研究所(NIH)、ワシントン大学で研究生活を送り、1954(昭和29年)年12月には、日本人として初めて米国立衛生研究所(NIH)の毒物学部長を務めた。その後1958年(昭和33年)に帰国して京大医学部教授に就任。大阪医科大学学長を経て、1987年(昭和62年)から大阪バイオサイエンス研究所の初代所長を1998年(平成10年)まで務めた。

国際派の学究として幅広い人脈を持つ早石氏は、同時に医化学、生化学、分子生物学などの基礎医学の分野で多くの研究者を育てたことで知られる。教え子の一人であり、近年、PD-1と呼ばれる分子のメカニズムを解明し、新世代のがん治療薬「オプジーボ」(一般名ニボルマブ)開発につなげたことで著名な京都大学客員教授の本庶佑氏に恩師・早石先生の思い出を語っていただいた。
(聞き手・構成:21世紀医療フォーラム事務局長 阪田英也)

本庶佑 氏
本庶佑(ほんじょ・たすく)
1942年京都市生まれ、73歳。1971年京大大学院医学研究科修了、1979年大阪大学教授、1984年京大教授。1996年京大医学部長。2015年から現職。免疫分野でベルツ賞、ロベルト・コッホ賞をはじめ世界的な科学賞を多数受賞。2013年に文化勲章受章

早石先生との最初の出会いは。

本庶 いまから50年余も前、私が京大医学部の2年生の時です。早石先生の父君も医師、研究者でしたが、私の父も山口大学医学部の耳鼻咽喉科の教授で、同僚の教授から早石教室へのご紹介をいただきました。米国でNIHの毒物学部長まで務めた最先端の研究者であることは学内外で知れ渡っていました。世界に通用する生化学、ダイナミックな基礎医学を学びたい。これが早石先生の門下生となろうとした動機でした。

早石先生から教えられた“研究者として大切なこと”は。

本庶 早石先生の教えで忘れられないのは、「サイエンスは、疑わなくてはならない」という言葉です。これは、「論文を理解するだけでは意味がない。そこに載っていないことに疑問を持て」ということです。世界に通用する医化学、基礎研究の教育とは、こうした独創性に裏打ちされたものと気付き、必死で喰らいついていったことを覚えています。早石先生の元には他大学や企業、海外からの客員研究員が押しかけ、日本の医学部では初めての「医化学第2講座」も誕生し、総勢7人からスタートした教室の陣容はすぐに50人を超える規模となっていました。

早石先生の医化学教室は“七人の侍”からスタートし、その後、門下生からは150人を超える大学教授が誕生しています。

本庶 1958年(昭和30年)、京大に着任されたときは若干38歳。30歳代の教授は現在も珍しいですが、当時は異例中の異例でした。早石先生は早速、米国のアーサー・コーンバーグ博士(1959年ノーベル生理学・医学賞受賞)から学んだランチセミナーを京大で開講。それは、当番の研究生が最新の論文を取り上げ、着想や方針、実験から結論を導く過程について、弁当を食べながら徹底的に討論する勉強会でした。

早石先生が登場された日本経済新聞の「私の履歴書」(2006年(平成18年)3月1日~31日掲載)には、第22回に本庶先生が登場されています。「門下生たち~研究合間にゴルフ楽しむ」とのタイトルですが。

本庶 早石先生の医化学教室に入ったのが1967年(昭和42年)ですから、ほぼ半世紀にわたるお付き合いをすることが出来ました。早石先生が1983年(昭和58年)に京大を退官された後、私が医化学教室を継いだことは名誉なことです。「私の履歴書」に早石先生ご自身が詳しく述べられていますが、その頃には優に300名を超える門下生がいました。

門下生の楽しみの1つがゴルフでした。「研究だけが人生ではない。息抜きに門下生らと楽しむゴルフは教室の隠れた名物である」と早石先生が語るように、ハンデキャップ15の早石先生の掛け声で大いにグリーン上を闊歩したものです。私もメンバーの京都ゴルフ倶楽部で、年2回程度開催される「早石杯」。80歳を超えられてからも月2回はラウンドされる早石先生と一緒に回ることも大きな楽しみでした。

最後に、最も印象に残る早石先生の思い出を語っていただけますか。

本庶 まず長いお付き合いの中で“1度も怒られたことがない”ということでしょうか。厳しく薫陶は受けましたが、私の思い出の中の早石先生はいつもニコニコ笑っておられます。

晩年、最晩年に至るまで研究に没頭され、睡眠の分野の研究では、ホルモンの一種「プロスタグラジンD2」が眠りを引き起こす物質であることを発見し、その働きを解明するなどの世界的な業績を挙げられています。

しかし、趣味と共に人生を楽しむ。ゴルフしかりワインしかり。また芸術、食に関する知識欲も旺盛な方でした。振り返ると、早石先生は人生という舞台を見事に生き切った「達人」であるといえます。私にとって早石先生は仕事の恩師であるのと同時に、人生の達人として私を導いてくれた先輩でもあると思います。

■ 早石 修先生を偲ぶ会

○日時: 2016 年6 月18 日(土)
○偲ぶ会:午後3時30分から午後4時30分(予定)(午後3時受付開始)
○献花:会終了後から午後7時まで
※会の終了後、皆さまからの献花を予定しております。
 ご都合により会にご参加いただけない場合、午後7時まで献花を受けつけております。

○場所:京都大学 百周年時計台記念館 百周年記念ホール (京都市左京区吉田本町)

本会は会費制ではございませんので、ご出欠について事前連絡は必要ありません。当日、直接会場へお越しください。尚、ご香典、ご供花等は固く辞退させていただきます。
平服にてお気軽にご参加くださいますようお願いいたします。

早石 修先生を偲ぶ会 世話人代表
岩田 想 (京都大学教授)

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