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人を組み替える

2016.12.15

余計な一言

高石 宏輔

エレガントな〈手抜き〉

コミュニケーション 意識改革 身体

エレガントな〈手抜き〉
一見すると手を抜いているようでいて、かえってことをうまく運ぶことのできる技術。他人とのコミュンケーションにおけるそれを、カウンセラーの高石宏輔さんは「言いたくなった言葉を呑み込むこと」だと言います。自分の余計な一言に気づくためにできること、気づくことで変わるものについて、考えてみます。

余計な一言によって、台無しになってしまうことがある。相手に何かを伝えるときや伝え終わったときに、もう一度同じことを別の言葉で伝えてしまうこと。あまり伝わっていない様子を見たときなら良いが、伝えている自分自身が伝わっているか不安で語っているとき、それは多くの場合、余計どころか、かえって相手に受け取ってもらえないものにしてしまっている。

簡潔な言葉でさらっと伝えられ、その間、ゆったりとした間を設けられた方が、受け手としてはその言葉を消化しようとする姿勢を保つことができるときがある。伝える立場であるときに、そのことを大切にするために、僕自身がしていることについて書いてみたい。

余計な一言を口にする時、何が起きているか

僕が余計な一言を口にしてしまうときは、目に力が入り、首と胸の辺りが固まり、腰の感覚がなくなり、へなりと後ろの方に腰の辺りの背骨が曲がっている。

人によってそれは指先の小刻みな動きだったり、貧乏揺すりだったり、手をぎゅっと握ることだったり、口元が歪んだり、力んだり、体のどこかに手で触れることだったりする。そして多くの場合、声のトーンが少し上がっていたり、早口になったり、語調が強くなったりする。また、言い回しが変わったりする。妙な敬語だったり、主語がなぜか普段使わないものになったり、人によっては方言になったり、外国語になったりもする。

そんなときに思い浮かんだ言葉を言うか言わないか、さじ加減を頭で考えても無駄である。体が力んだり、自分の体に対する感覚が失われている状態になっているときは、他人を受け容れられなくなり、アイデアも思い浮かばなくなる。そのときに自分の中に浮かぶものは、ほぼすべて自分の考えや立場を正当化するための言葉でしかない。

こうなったときは、ひとまず口をつぐみ、冷静になるべきである。体の緊張がある一線を越えてしまうと、冷静になろうとしても感情が先走り、余計な一言どころか、二言、三言と、暴走が止まらなくなってしまうので、できるだけ早い方がいい。

こうなってしまったとき、頭の中はどうなっているだろうか。まず、相手の過去を見ようとしていない。様々な事情があっての、今このときの、その人であること。長い時間をかけてそうなったものは、今すぐに変えることは難しいということを忘れてしまっている。そして、相手の未来を見ようとしていない。自分の発言によって相手が自信を失えば、伝えたいことを受け取ってもらえなくなるかもしれない。そんな近い未来さえも見えなくなってしまっている。

話すときだけでなく、パソコンでキーボードを打つとき、スマートフォンで文字を入力するときも同じである。余計なことを書いているときには、いつもよりも肩が上がっていたり、指に力が入っていたりする。そのときには大抵、目や腰の辺りも力んでいる。

余計な一言に自ら気づくことで変わること

あからさまに良いことを言うのも、余計な一言であることがある。相手を過剰に褒めたり、相手が喜ぶようなことを無理に言うのは、相手に好かれたいという気持ちの表れである。そのときにも、自分のどこかに力みがある。その力みを自分で気づいて抜くことができれば、そんなことを言うよりも、もっと聞いたり、言ったりしたいことが見つかり、会話の内容も発展するだろう。

あるいは、ただ見守るだけで会話を終えられるかもしれない。アドバイスなどの余計な一言を言ってしまうのは、相手のことを捉えきれていないからに過ぎない。とはいえ、黙っていれば良いというわけではない。それでは嘘になってしまうし、我慢しているときにも体は強張ってしまう。

言いたくなって言ってしまうことは、自然なことだとも言える。大事なのは、余計な一言を自分が言ってしまったことに気がつくことだ。その状況が、自分にとってはまだ冷静に見つめたり、そのまま受け容れたりするには難しいものなのだと認められると、そのときにはじめて、その状況を受け容れられるようになる準備ができる。

この文章そのものも余計なことに過ぎないはずだと思う。自分を偽らないために、この文章を書かざるを得ない自分のことを見つめながら終える必要があると思う。

今まで書いてきたことを思いながら、数十秒間目を閉じてみる。すると、目の周り、頬、顎、首の辺り、胸、背中、腰の辺りにわずかな力みがあることに気づく。その力みを抜くと、日常の中で見聞きした人々の言動をまだ受け容れ切れていないこと、今よりもっと受け容れたいという気持ちがあることに気がついた。他人の余計な言動を受け容れ、自分の余計な言動を見直さなければいけない。そのために、より力を抜いて、他人と接したときの自分の心身の動きをより細かく捉えられたらと思う。

会話の仕方も、書き方も、目の前にあるものの感じ方も、同じことの繰り返しではなく、少しでもまた違うものになっているようでありたい。

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社会はますます“手抜きを許さない”方向へと進み、絶え間なくリスク回避のストレスに追われています。逃げ道はないのか。小さな組織の未来学では別の選択肢を検討してみます。成果を上げるプラスの「手抜き」とは何か、ヒントが見えてくるかもしれません。この特集の終わりには「エクセレントな手抜き」にまつわる調査報告をメールマガジンでお届けする予定です。

プロフィール

高石 宏輔 (たかいし ひろすけ)

1980年生まれ。慶應義塾大学文学部仏文専攻中退。在学中よりカウンセリングのトレーニングを受け、セミナー講師を務める。スカウトマンを経てカウンセラーとして活動を開始。クライアントからの要望により、路上ナンパ講習も始める。著書に『あなたは、なぜ、つながれないのか──ラポールと身体知』(春秋社)、共著に『「絶望の時代」の希望の恋愛学』(中経出版)。