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人を組み替える

2016.12.27

「価値観の違い」は問題ではない──イスラームが教える共存の作法

中田 考

イスラーム式経営術

多様性 宗教 国際

年齢、性別、宗教、国籍……。少子高齢社会やグローバルな競争環境を背景に、出自や文化的背景の異なる多様な人材を活用する「ダイバーシティ経営」が、日本企業の課題として語られることが増えました。しかし昨今の世界情勢からは、価値観や文化的背景の異なる人々が共存することは、簡単でないように感じます。

ユダヤ教やキリスト教といった異なる宗教と向き合ってきたイスラームはこれをどう考えてきたのか。聖典クルアーンにみえるイスラームの智慧を、中田考さんに聞きました。

砂漠では、他者と共存しなければ生き延びられない

「価値観が違う者と共存する方法」についてイスラームの智慧を教えて欲しい、と問われました。

私たち日本人は「共に生きていくためには価値観を共有している必要がある」と考えがちです。農耕で発展してきた歴史の長い日本では、生まれた場所で育ってそこで死に、誰もが顔見知りで互いに気心を知っており、一所懸命に集団で協力し合うのが当たり前でした。日本人が「価値観の違う者とは共存が難しい」と考えがちなのは、こうした文化的背景もありそうです。

一方、イスラームは、遊牧民の異民族が混在する中東の砂漠に生まれた宗教です。

砂漠では、言葉が通じない異民族の見知らぬ旅人が自分のテントに突然訪ねてきても、水と食べ物を与えて一夜の宿を提供するのが掟でした。それは、遊牧民の世界ではその掟を守らないと、互いに生き延びることができないからでしょう。

砂漠の遊牧生活では、旅人が現れた時、価値観が同じかどうか、言葉が通じるかどうかを問題にしている余裕はありません。蓄えのない旅人を砂漠で放っておけば、死んでしまうかもしれません。そして遊牧民族である以上、いつ立場が逆になって自分が飢えた旅人になるか分かりません。

誰であれ分け隔てなく、異邦人にも黙って食べ物と安全に眠れる場所を提供する、それが遊牧文化における共存のルールでした。厳しい砂漠に生まれたイスラームには、他者と共存するための智慧が詰まっているのです。

必要なのは、ただ無根拠な信頼

そもそも私たちは「価値観が違う」などと言う以前に、何を考えているのか分からない犬猫や、何も考えていそうにもない亀やサボテンとだって共存しています。いや、生き物ですらない海や山や風や太陽に対しても、その存在を受け入れて生きています。共に生きていくためには、価値観の一致も、相手が自らの価値観を理解してくれることすらも必要な条件ではありません。

共存に必要なのは、まず無根拠な信頼であるとイスラームでは考えます。私たちは、母親を、家族を、世界を、理解もしないままに無根拠に信じなければ生き延びられない存在として生まれ落ち、そこから徐々に世界と共存するための作法を学びます。尖ったものや熱いものには触れない、高いところに登らない等々。動くものは触れると傷つけられるかもしれませんが、自分を助けてくれることもあります。そういったことを体験によって少しずつ学んでいきますが、共存の作法を学ぶための前提にあるのは、世界への無根拠な信頼です。

世界は基本的に私たちにやさしく出来上がっています。どれだけたくさんの争いがあるようにみえても、世界全体で見れば、秩序と調和の方が優勢です。

クルアーンは言います。

「アッラーが人々を互いに抑制させなければ大地は荒廃していたであろう」(2章251節)

イスラームでは、神さまが人間を互いに牽制させあうことで調和した世界を整えられた、と考えます。しかし神さまを信ずるのが難しければ、こう考えてもよいでしょう。人間は自然淘汰の結果として、今のように存在している。そうである以上、私たちにとってこの世界は住みやすいものであるはずだ、と。

重要なのは、世界を無条件に信ずることこそが、私たちが生きる第一歩であることに気づくことです。

人間には身近な人の気持ちも、自分の気持ちも分からない

他者との共存を阻む最大の障害は、世界を無根拠に信頼する覚悟の欠如です。そして、共存のためには他者と価値観が一致しなければならないとの妄想、さらに言えば他者の気持ちが分かるとの思い込み、これらは世界に対する信頼の揺らぎの徴候であると同時に、信頼を崩す病因にもなりえます。

イスラームは、森羅万象が至善の創造神によるものであることを信じ、神の意志に絶対的に服従することであり、神の創造した世界、運命を信じて受け入れる宗教です。

「諸天と地にあることを知り、あなた方が秘めることも露わにすることも知り給う。アッラーこそは胸中にあることを知悉(ちしつ)される御方であらせられる」(64章4節)

この世界が神を讃え、崇めて生きるものとして自分のために用意されたものであること、そして心の中を知る者は創造神であるアッラーだけであることを、イスラームは教えています。

私たちは身近な家族や友達の気持ちさえ分かることはできません。いえ、それどころか自分の気持ちさえ、どれだけ分かっているのか怪しいものです。自分がいま、本当に望んでいることは何か。自分にとって一番大切なものは何なのか。即答できる人が何人いるでしょうか。

お金が欲しい、と思っている人がいます。本当でしょうか。お金は食べることもできません。着ることもできません。話し相手になってくれるわけでもありません。何か欲しいものがあるから、お金が欲しかったはずです。でもお金を手にした今、欲しかったものは手に入ったでしょうか。お金だけではありません。立派な職業、人が羨むブランド品、でも本当に欲しかったのは何だったのでしょうか。

身体的・物理的にやさしく、丁寧に

人は他人の心だけでなく、自分の心すら分からないのです。分かりもしない他人の心など詮索もせず忖度(そんたく)もせず、ただ人の行いを虚心に見れば、他人との共存の道は自ずから明らかです。

犬や猫でも無用にいじめなければ噛みつきはしません。餌をやり、撫でてやれば喜びます。他者と共存する作法は人間でも動物でも同じです。心の中で何を思っているかなど考えず、身体的・物理的(physically)にやさしく丁寧に扱うように心がければ、動物であれ人間であれ、むやみに襲ってくることはありません。機械でさえ、丁寧に扱えばむやみに爆発などしないでしょう。私たちは皆、そういうふうに作られているのです。

もちろん、動物であれ人間であれ、病気だったり虫の居所が悪かったりして、時には攻撃的になることもあるでしょう。しかし、そういうことは気にしなくていいのです。めったに起きない不運な例外を怖れて、分かりもしない他者の心中についてあれこれ考えても仕方ありません。

誰に対しても何に対しても、相手の心の中のことなど考えず、身体的・物理的にやさしく丁寧に扱うこと。そして、それだけを迷わず貫くことが他者との共存の要諦であり、それ以外に何か特別な秘策があるわけではありません。

「嘘をつかないこと」が契約の基盤

身体的・物理的にやさしく丁寧に扱うことは、人間にも動物にも通用する他者との共存の基本のルールですが、イスラームには言葉を喋る人間のためだけの教えもあります。といっても極めてシンプルで、嘘をつかないこと。ただそれだけです。

預言者ムハンマドは、「信仰者というものは、卑怯者であったり、不倫を犯したりはしても、嘘つきではありえない」と言われました。嘘をつかないことは、イスラームの道徳の基底です。

またイスラーム法は属人法であって、イスラーム教徒にしか適用されませんが、一方で「スィヤル」と呼ばれる一種の国際法も存在します。「スィヤル」は異教徒との間の関係を律するルールで、それは価値観を共有しない他者、異教徒とも共存が可能であると教えています。

「スィヤル」が国際法として機能するのはなぜでしょうか。神授の法である「スィヤル」を守るイスラーム教徒と、創造主アッラーも預言者ムハンマドも信じずイスラームの価値観を共有しない異教徒の間に契約が成立するのは、双方に「約束を守る、自分の言葉に忠実である(keep one's word)」という人倫の共通の基盤があってこそなのです。

心の中で何を考えていようと、どのような価値観を有していようと、それを詮索する必要はありません。何を考えているかよく分からず、価値観を共有することもない異教徒、異民族と共存するために必要なことは、ただ口に出した約束をきちんと守ることができるかを、他者に対して見極め、自己に厳しく課することだけなのです。

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プロフィール

中田 考 (なかた こう)

1960年岡山県生まれ。株式会社カリフメディアミクス代表取締役社長/同志社大学高等研究教育機構客員教授。専門はイスラーム法学・神学。1986年東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了。1992年カイロ大学大学大学院文学部哲学科博士課程修了、博士号取得。在サウディアラビア日本国大使館専門調査員、山口大学教育学部助教授を経て、2003年から2011年まで同志社大学神学部教授を務める。2011年よりアフガニスタン平和開発研究センター客員上級研究員。2013年株式会社カリフメディアミクス設立。著書に『一神教と国家』(集英社新書・内田樹との共著)、『イスラームのロジック』(講談社)など。