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健康のまちづくりには、総花的にならない“軸”が必要

「健康寿命延伸」で企業も巻き込む――菅谷昭松本市長に聞く

井上俊明【2017.9.5】

国に先駆けて「健康寿命延伸」というスローガンを打ち出した長野県松本市。医師である菅谷(すげのや)昭市長は、健康を6つの角度から多面的にとらえ、その一環として、企業や市民との連携により健康産業の創出にも取り組んでいる。長野県内の19市中唯一人口が増加するなど成果を上げつつあり、全国的にも注目されている菅谷市長にその取り組みについて聞いた。

(撮影:佐々木みどり)
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――松本市は「健康寿命延伸」を都市戦略として掲げています。

 2004年、私が市長に初当選したときには、3K施策として「健康づくり」「子育て支援」「危機管理」を打ち出しました。2008年に再選されてからはその充実・強化を目的に「健康寿命延伸都市・松本」を掲げています。「健康で自立して暮らし、実り豊かで満足できる生涯の期間」を健康寿命と言い、平均寿命から介護などが必要となる期間を差し引いた期間のことです。当初、市民や職員からの評判は決してよくなかったのですが、2013年に厚生労働省が「健康寿命の延伸」を国民の健康増進の目標に掲げたこともあり、今、松本市はそのフロントランナーとして注目されています。

――市長になる前は、長く医師として大学病院などで働いてきましたね。

 はい。ですから行政については素人だったので、「医療者としての自分に何ができるのか」を真剣に考えました。そして市政の基本理念として「量から質への転換」を掲げたのです。これには命や人生の質を高めることも含まれます。「ただ長生きしても意味がない。生きている内容が問われる時代なんだ」と市民に説明してきました。これが健康寿命延伸という考え方につながっているわけです。そのほか、「20年先、30年先を見据えたまちづくり」を基本方針に、「市民が主役、行政は黒子」を基本姿勢に、それぞれ据えて市政運営に当たってきました。

 私は、人口の減少ペースは相当速いと思っています。来るべく「超少子高齢型人口減少社会」に対応するまちづくりに取り組まねばなりません。それが健康寿命延伸都市の創造というわけです。

――松本市がある長野県は、全国的にも平均寿命が長く、農村部での独自の地域保健活動でも知られています。

 確かにその通りですが、こと健康寿命となると長野県はそれほど長くないのが実情です。また、市内に中山間地はありますが、大部分が都市である松本市の場合、農村医学のやり方を持ち込むのはどうでしょうか。

 大変ありがたいことに松本市は医療資源に恵まれています。大学病院もありますし、国立病院機構の医療施設もあります。民間でも機能が充実した病院が4つほどあります。医師会も行政に協力的で、全国的にも珍しい小児のための軽症(1次)から重症(3次)まで受け入れる救急医療体制を敷いているほどです。

――市長は、「健康」を多角的に捉えているそうですね。

 「人の健康だけじゃない」と私はよく口にしています。医療・福祉のみならず、あらゆる分野において健康、すなわちよりよい状態に保つことが市政の目指すところ。具体的には、「人」「生活」「地域」「教育・文化」「経済」「環境」の6つの健康を掲げています。この6つの健康づくりに、総合的・一体的に取り組んでいくのが松本市の施策です。市民、行政に加えて、企業や大学も重要な担い手です。

松本市が取り組む6つの健康づくり(資料:松本市)
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 例えば経済の健康の中には、新たな産業の創出も含まれます。十数年前まで、経済官僚でもこうした視点で健康を捉えたりしませんでした。でも、今は「医療の輸出」などに熱心に取り組んでいることもあって、経済産業省も松本市の動きを支援してくれています。

医療職の強み生かし「顔の見える」連携

――松本市は人口約24万人ですが、存続について危機意識はありますか。

 国全体の人口が減少する中、市区町村はどこも生き残りの道を模索しています。そのためには特色ある地域づくりが不可欠。松本の場合は、それと健康づくりを連動させてきました。医療と介護を合わせて提供する地域包括ケアがやりやすい環境が整っていたわけです。

 充実した介護サービスを提供できる状況にあったうえに、医療関係者と大学、医師会などの連携がうまくいっていたからです。私自身が医師なので、知り合いや後輩がこうしたところにいて、直接電話で突っ込んだ話ができる。「顔の見える関係」ができているのです。一方で、市長として予算や人事の権限を持っていますから、実行もしやすい。市の職員に要望を伝えるより、話が通るのが速いと喜ばれています。

――首長や自治体職員には、こうした役割は期待できるものですか。

 ウチでは、職員にもいろいろな機会を捉えて医療関係者と顔を合わせるようにしています。市で働く保健師にも、役所の中にいないで企業とコンタクトを取るようにと指示しています。

 ただ、一般に首長や職員は医療関係者と顔を合わせるのが苦手ですね。それは私もよく分かります。少子高齢化が進み地域包括ケアが求められる時代には、医療や子育て、小児医療などが分かる人でないと、首長や自治体の幹部職員は務まらないと思います。私は、「これからは医療関係者を首長にした方がいいんじゃないか」と、冗談交じりに言うこともあるんですよ。副市長のようなポストで首長のそばに置く手もありますね。

――健康寿命延伸都市の実現のために、2011年には自らが会長となって松本地域健康産業推進協議会を立ち上げました。次いで松本ヘルスバレー構想も打ち出していますね。

 この協議会は、産官学に市民や金融機関も巻き込んで、健康寿命延伸のプラットホームになるようにと設立しました。シンクタンクのアドバイスに基づく組織で、塩尻市なども含めた地域の意欲ある企業や団体が約300集まっています。健康分野で新たな産業を創出するのが目的で、時代を担う若者たちに、ものづくりへの関心を育てるのに貢献したいと思っています。人口の維持・増加にも、一役買うことを狙っています。

(撮影:佐々木みどり)
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――協議会の事業の一つに、2014年10月に設立された松本ヘルス・ラボの推進が挙がっています。

 シリコンバレーをもじった、松本ヘルスバレー構想を具現化するための組織が松本ヘルス・ラボです。健康・医療・福祉関連の産業が、健康意識の高い市民の協力・支援により、優れた製品やサービスを創りだす。この産民(官)の連携で、地域経済の発展を促し、雇用の場も創出する。そうすれば市の税収も増えて、市民の健康づくりにさらに予算を投入でき、ますます市民が健康になる――こうした好循環を生み出そうというのが松本ヘルスバレー構想です。

データや要望で住民・企業を橋渡し

 そして松本ヘルス・ラボは、市民と企業が一緒に健康価値を創造する場。市内にオフィスがあり、400人ほどの市民が会員として登録しています。会員は年3000円払って、毎年体力測定や血液検査などを受ける。そのデータがラボに蓄積されていきます。一方で健康関連の商品を開発している企業は、その商品を一定期間、モニターとして会員に使ってもらう。そうすることで、その商品の効果を示すデータも取れるし、健康意識の高い住民からの改善提案ももらえて、よりよい商品づくりに生かしていけるわけです。既にこうした仕組みをつくる自治体はほかにも出てきています。

――今後、会員を増やすために何か策がありますか。

 目標は1000人です。そのためのカギは「健康経営」だと思っています。企業が従業員の健康度アップを図ることで生産性の向上を目指す健康経営は、大企業を中心に広がってきていますが、地方は中小零細企業がほとんどなので、なかなか経営者が関心をもってくれません。健康経営に取り組む中小企業に会社として松本ヘルス・ラボに入ってもらおうと考えて、今、あちこちの会社を回っています。

――市長は、“がんの広告塔”でもあるそうですね。

 最初の選挙に出馬する直前、早期胃がんが見つかったのです。そこで当選の翌日に公表してすぐ入院し、開腹手術を受けました。2週間もたたないうちに公務に復帰し、それから14年間休むことなく市政に当たっています。市民も心配してくれるので、自分の内視鏡や血液の検査結果は市のホームページで公表しています。これをきっかけに、市民が自分の健康により関心を持つようになってくれればいいと考えています。

――2015年の国勢調査の結果、松本市は県内に19ある市の中で唯一、人口が増えました。その理由をどう見ていますか。

 私自身、この結果にはびっくりしました。県庁所在地の長野市や上田市が数千人減っている中での人口増ですからね。市長の集まりの際にも、「どうして松本は人口が増えるのか」と聞かれました。わずか256人の増加ですが、減少傾向に歯止めがかかって上昇に転じただけでもうれしいものです。

 人口増の理由については、担当課に分析させていますが、私としてはこれまでの総合的な施策が実を結んできたのかなと考えています。例えば、先に挙げた6つの健康のうち「生活の健康」に子育て支援を含め、妊娠前から学童期まで継ぎ目のないバックアップを実施。予防接種ひとつ取っても、法定でない任意の接種にも補助金を出しています。松本は人口が多いから財政的には大変なのですが、子育てしやすいまちだと分かると、「もう1人子供を生もう」と思ってくれるでしょうから。

 実際、市の調査では、「松本市は子供を育てやすいまちだと思う」人は90%を超えています。ちなみに2015年度の市民満足度調査では暮らしの満足度は91.5%、定住の意向は82.2%といずれも高い割合となっています。まずは住みついてもらうことが肝心です。

特徴を打ち出しブレない

――健康寿命の延伸については、何かデータがありますか。

 厚生労働省の指針をもとに市が計算した結果、2005年に女性82.83歳、男性78.57歳だった健康寿命は2013年にはそれぞれ84.21歳、79.51歳と緩やかに延びてきています。一つひとつは地味ですが、様々な取り組みを一歩ずつ積み重ねた成果ではないでしょうか。

松本市民の健康寿命は緩やかに上昇している(資料:松本市)
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――2013年に「健康寿命延伸都市宣言」をされましたが、これは市議会からの要請だったそうですね。

 3期務めた前の市長のあとに、行政の素人である私が当選したのですから議員さんたちも面食らったことでしょう。私は前市長の長所も取り入れながら、少しずつ健康寿命延伸都市づくりを進めてきました。議会との関係はうまくいっています。

 もちろん、「健康や医療に熱心に取り組んでくれるのはいいけど、経済活性化や産業対策もやってほしい」という声はありました。私は、「まず、健康寿命延伸の施策を先に取り組ませてほしい」と説得しました。松本ヘルス・ラボの設立で産業振興にもつながって、人口も増加に転じている。それで施策に対する市民の理解も進んできたと思います。やはり結果を出さないと住民はなかなか認めてくれませんね。

――「健康」を切り口にまちづくりをしている自治体は結構ありますが、うまくいっているところばかりではないようです。

 冒頭で申し上げたように、私は1期目に3K、2期目以降は健康寿命延伸という市政運営の旗印を掲げました。総花的に健康づくりに取り組むのではなく、こうした「芯」や「軸」を打ち出してそこからブレずにやっていくことが大切だと思います。あと、国からのお金を頼りにせず、自立した姿勢を見せることですね。もちろん頑張っている自治体には補助金などを手厚くしてもらえるとうれしいですが。今後も気を緩めず、様々な意見を参考にしながら地道に謙虚に市政のかじ取りをしていくしかないと思っています。

菅谷昭(すげのや・あきら)
松本市長
菅谷昭(すげのや・あきら) 1943年長野県千曲市生まれ。信州大学医学部卒業。信州大学医学部第2外科助教授などを経て、1996年からベラルーシ共和国でチェルノブイリ原発事故の医療支援活動に従事。2002年長野県衛生部長に就任。2004年松本市長に初当選。現在4期目

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