• ビジネス
  • xTECH
  • クロストレンド
  • 医療
  • TRENDY
  • WOMAN
  • ショッピング
  • 転職
  • ナショジオ
  • 日経電子版
  • 日経BP

人口は減っても元気なまちづくり

記事一覧

第3回 大分県豊後高田市――「昭和の町」は3つの戦略の1つ

佐保 圭=フリーライター【2016.9.5】

大分県・国東半島の西側に位置する豊後高田市は、1947年をピークとして人口減少が続いている。しかし、さびれる一方だった商店街を「昭和の町」として再生した結果、毎年30万人以上の観光客が訪れる。さらに「住みたい田舎」ベストランキングでは、4年連続ベスト3に選ばれている。小中学生の学力は県内トップクラスだ。この豊後高田市の元気さの背後には、行政・商工会議所・教育現場・市民が一体となって取り組んできた人口増への長期戦略があった。

豊後高田市の総人口の推移(資料:豊後高田市人口ビジョン〔2015年10月〕)
[画像のクリックで拡大表示]

 現在の大分県豊後高田市は、2005年、旧豊後高田市、真玉町、香々地町の1市2町が合併して誕生した。この旧3地区を合算した総人口は、1947年の約5万人をピークに減ってゆき、旧3地区の合併時で約25000人と半減、現在(2016年6月)は2万2750人となっている。

 一方で、豊後高田市は『田舎暮らしの本』(宝島社)の特集企画「住みたい田舎」ベストランキングにおいて、2013年で全国第1位、2014年、2015年、2016年は全国第3位と、4年連続ベスト3に選ばれている。また、全国1638市区町村が登録するウェブサイト「全国移住ナビ」が2015年7月から9月の3カ月間のアクセス件数などから審査した全国コンテストで、豊後高田市は最高賞となる総務大臣賞を受賞。市町村ローカルホームページアクセス数で2位以下に大きく差をつけ、2016年3月現在まで、1位をキープしている。

 さらに、流動人口では、2013年を除いて2011年から2015年まで社会増減はプラスで、2016年も7月現在までプラスとなっている。

 なぜ、豊後高田市は人口減少を続けながらも、「住みたい田舎」として高く評価され、流動人口の社会増を維持できているのか。まず全国的にも有名な同市の「昭和の町」の取り組みからみてみよう。

「昭和の町」は、豊後高田市の市街地にあり、小さな商店街が寄り集まって構成されている。写真は「昭和の町」の入り口にあたる「駅通り商店街」。毎年約30万人の観光客が訪れる。(写真:佐保圭)
[画像のクリックで拡大表示]

 1992年4月、ゴーストタウン化していた商店街の再生を目指して、豊後高田市(合併前)の市役所、商工会議所と商店主は、豊後高田地域商業活性化委員会を設置し、大手広告代理店に依頼して1年間の調査・分析などを進め、『豊後高田地域商業活性化構想』を完成させた。しかし、この構想には大規模な新規の建造物の建設が含まれ、莫大な資金がかかるため、早々にお蔵入りとなった。

 その後、調査の結果、商店街の約300軒の店舗うちの6~7割は、昭和30年代以前に建設されていたことがわかった。高度経済成長期の波に乗れずに取り残されたことが逆に功を奏し、化粧された看板を取り除くなど、多少の改装を加えるだけで、莫大な費用をかけずとも昭和30年代の姿を蘇らせることができると判明した。そこで、年配者には懐かしい昭和30年代の風景を持つ「昭和の町」として、商店街を再生する取り組みが始まった。

 2001年9月、まず7軒の店を昭和のレトロな雰囲気に改修して「昭和の町」がオープン。この年だけで、2万5712人の観光客が訪れた。その後、参加する店舗を増やしながら、2002年10月には、日本一の駄菓子屋おもちゃコレクターのコレクションが展示される「駄菓子屋の夢博物館」などが入った「昭和ロマン蔵」をオープン。この年の観光入込客数は約8万人に跳ね上がり、メディアにも取り上げられて、「昭和の町」は全国に知られることとなった。翌2003年は20万人を突破し、2004年は約25万人、2005年には約26万人と、順調に観光入込客数を伸ばした。

企画・運営
  • 日経BP総研
健康ソリューション

<新設!>医療、福祉、スポーツ、ウォーキング、食育……「健康」と地域活性化を結び付けた取り組みが活発化しています。


お知らせ

記事サーチ

都道府県別記事一覧

「新・公民連携最前線」の掲載記事を都道府県別にご覧いただけます。「地方創生」「CCRC」「コンセッション」など注目キーワードの記事一覧も用意しました。

ページトップへ