• BPnet
  • ビジネス
  • IT
  • テクノロジー
  • 医療
  • 建設・不動産
  • TRENDY
  • WOMAN
  • ショッピング
  • 転職
  • ナショジオ
  • 日経電子版

人口は減っても元気なまちづくり

記事一覧

【番外編】

50年間人口が増え続ける、和歌山県上富田町の秘密

農業の町を商工業から教育の町へと変貌させて魅力を維持

取材&文=佐保圭【2017.3.22】

一大産業の城下町でも、大都会や大規模工業地帯のベッドタウンでもない。しかし、50年前から人口を増やし続ける地方の町がある。和歌山県西牟婁郡の上富田町は、なぜ、半世紀以上も人口を増やし続けることができたのか。キーワードは「金がない」と「巻き込み」だった。今回は「番外編」として“人口が増え続ける元気なまち”を取り上げる。

 和歌山県上富田町の人口は、国勢調査で1965年の9660人から2010年の1万4807人まで、一度も減ることなく増え続け、2017年1月31日現在は1万5562人と、半世紀以上にわたって人口増加を続けている。

 北の田辺市と南の白浜町に囲まれ、海に近いが接してはいない面積約57km2の小さな町。古来から熊野古道の入り口「口熊野」として知られるが、観光産業が盛んな訳でもなく、町内の駅はJR西日本紀勢本線の朝来駅のみで、2時間に1本、普通列車しか停車しない。

 地方の町や村が深刻な人口減少に悩まされるなか、なぜ、この町は人口を増やし続けることができるのか。そこには財政の乏しさを逆手にとり、住民や企業に町政の取り組みに積極的に参加・支援させることで、産官学民が一体となる町づくりを実現した「巻き込み型」の自治体戦略があった。

農業の町を方向転換、まず企業誘致で働き場所を作った

 上富田町は、古くはウメとミカンの栽培を主産業とする町だった。1976年に議決された第1次総合計画では「農業の町」として発展を目指し、農林省からさまざまなモデル事業の補助金も得た。しかし、11年後の第2次総合計画では、町の目指すべき方向を「農業と商工業の調和のとれた田園工業型の町」へと転換した。

 上富田町の小出隆道町長は言う。「農業だけでは町の人口が増えないので、地場産業も大事にしますからほかの企業も来てください、と企業誘致に力を入れた」。

和歌山県西牟婁郡上富田町の小出隆道町長(写真:佐保圭、以下同)
[画像のクリックで拡大表示]

 実は、すでに第2次総合計画が議決される6年前の1970年の時点で、町役場や議員の熱心な働きかけにより、和歌山市に本社を置いていた老舗アパレル素材メーカー「ヤマヨテクスタイル」(現在は本社も上富田町に移転)の工場を誘致し、地元に100人の雇用を生んでいた。また、1975年4月には、工場長が上富田町の出身者という縁から、ベアリング製造業界大手のNTNの工場も誘致した。

 「町の人口を増やすには、仕事と生活環境が非常に大事です。働く場所としての企業を誘致し、暮らす場所として和歌山県と上富田町で企業団地を造成し、町役場が住宅団地をつくった。この第2次総合計画が、今の上富田町の発展につながっている」(小出町長)。

 ただ、ヤマヨテクスタイルの山下郁夫社長が「農業の町から工業の町になっても、それで終わってしまう町がたくさんある」と指摘するように、企業誘致だけで人口を増やし続けるのは難しい。「そこで出てくるのが、健康で生きがいのある町づくりです」と小出町長は言う。

交付金で作ったスポーツ施設を軸に健康のまちづくりへ方向転換

 第2次総合計画を議決してから4年後の1989年、地域振興のための「ふるさと創生事業(自ら考え自ら行う地域づくり事業)」として、上富田町にも1億円が交付された。

 「1億や2億では何もできない」と考えた上富田町は、この1億円にその後の数年間で得たさまざまな補助も足して初期の原資とし、地方債なども発行してまとまった資金を調達して、スポーツセンターと文化会館をつくることにした。

 上富田スポーツセンターは、1992年に着工し、1995年に完成した。

上富田スポーツセンター。現在は、サッカー、ラグビー、アメフト、ラクロス、フットサルなどで使用できる天然芝の多目的グランドが2つ、それらに加えて野球やソフトボールにも使用できる人工芝の多目的グランドが1つ、プロ仕様の野球場と屋根付きブルペンが1つ、屋内イベント広場(雨天練習場)、人工芝のテニスコート4面と、非常に充実している
[画像のクリックで拡大表示]

 「どこかの町みたいに金塊を公開するのではなく、子どもたちの将来につながることに使おうと考えたことが、いま芽を出している」と小出町長が言うように、十数億円を投じてつくったスポーツセンターが、その後、町のイメージアップに加え、「上富田町=スポーツ教育の盛んな町」という認識を醸成して、人口増加にも寄与することになる。

 1996年、上富田文化会館も完成。同年には、第1回紀州口熊野マラソンが開催された。和歌山県で唯一のフル、ハーフマラソン公認コースで、歴史と豊かな自然を感じながら走れる日本陸上競技連盟公認大会として、第22回を迎えた現在では県外からの参加者が半数を超える人気となっている。

 そして、1998年2月、上富田町役場で総務部企画課の財政課長、建設部長を歴任してきた小出隆道氏が町長に初当選。翌1999年には、第3次総合計画「健康で生きがいのある町づくり」が議決された。

 町づくりの主体を「農業」から「企業誘致」と変えてきた上富田町は、次なるテーマとして「健康(スポーツ)」に照準を合わせた。この頃から、上富田町の「行政に住民や企業を巻き込む」という戦略が顕著になってゆく。

企画・運営
  • 日経BP総研
お知らせ

記事サーチ

都道府県別記事一覧

「新・公民連携最前線」の掲載記事を都道府県別にご覧いただけます。「地方創生」「CCRC」「コンセッション」など注目キーワードの記事一覧も用意しました。

pickup

ページトップへ