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歴史的建造物の保存・活用プロデュースを通じて、市民活動を育てる

Vol.12 東田秀美さん(NPO法人旧小熊邸倶楽部理事長)

聞き手:麓 幸子=日経BP総研マーケティング戦略研究所長・執行役員、取材・文:北室かず子【2017.12.20】

地域の歴史文化を抱く歴史的建造物。価値があることは分かっていても、保存・改修コストの負担から、持ち主や自治体にとっては重荷になりがち。そんな歴史的建造物の保存・活用に関して全国から相談が寄せられるのが、NPO法人旧小熊邸倶楽部代表、NPO法人歴史的地域資産研究機構理事の東田秀美さんだ。東田さんは、1927年(昭和2年)建築の旧小熊邸を移築・復元した「ろいず珈琲館旧小熊邸」(札幌市)を皮切りに、数々の歴史的建造物を地域資産に変えてきた。行政マンでも建築家でもない東田さんに、なぜそれが可能なのだろうか。市民活動と組織運営の極意を聞いた。

東田秀美(とうだ・ひでみ)
1963年小樽市生まれ。高校時代に小樽運河の保存運動に接して市民運動を知る。81年さっぽろ東急百貨店に入社、組合役員を6年間務める。出産退職後、社会復帰の第一歩として歴史的建造物の保存再生にかかわりたいと考え、「旧小熊邸の保存を考える会」設立に参加。非営利組織の面白さを知り、97年「NPO法人旧小熊邸倶楽部」を設立。以降、北海道内における地域資産の保存活用に取り組む。NPO法人景観ネットワーク理事、NPO法人ゆうらん副理事長、認定NPO法人北海道市民環境ネットワーク(きたネット)理事など、市民が主体になる多様なまちづくり活動を展開している。(写真::大槻純一)
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末席の一参加者から保存運動のリーダーに

──旧小熊邸とはどんな建物ですか。

東田理事長(以下、東田) 北海道帝国大学農学部の小熊捍(おぐま・まもる)博士の住宅として、建築家の田上義也が設計したものです。田上は、帝国ホテルの設計者フランク・ロイド・ライトの弟子で、旧小熊邸はライトの作風の影響を感じさせる代表作です。その後、北海道銀行初代頭取の住宅となり、北海道銀行が長く所有してきました。建物の老朽化が進み維持費がかさむなかで、「旧小熊邸の保存を考える会」が1995年に発足しました。

──今、NPO法人旧小熊邸倶楽部代表ですが、当時は末席だったとか。

東田 末席も末席。北海道大学の先生方や著名な文化人が、38人も名を連ねておられましたから。でも、会議を重ねても何も決まらないんですよ。ついに「はい、先生がた! 出しゃばってすみませんけど」とホワイトボードをガーッと引っ張ってきて、事務局はどこに置いて誰が担う? 保存運動のチラシの内容どうします? いつオーナーに会いに行きますか? と、決めていったんです。

 並行して署名運動も行いました。「あなたは旧小熊邸をどうしたいですか? 1.現地現況保存、2.移築保存、3.解体も仕方ない、あなたは旧小熊邸のために何をしてくれますか? 1.お金を寄付、2.一緒に汗を流す…」。そういう選択肢に答えてもらいました。

──それは署名というより、意思表示を求めるアンケートですね(笑)。

東田 数を集めるだけの署名は嫌だったんですよ。約6300人が署名してくださって、それを北海道銀行に持っていくと「東田さん、この署名用紙、重たすぎます」って。総務部長が役員会で、「あの人たちは本気だから2年間待ってやってくれ」と説得してくれたと聞いています。新聞には「取り壊し反対」を声高に叫ぶ論調ではなく、「新オーナーを探しています」と書いてもらいました。すると、銀行OBたちから総務部長に激励の電話がたくさんかかってきたそうです。

 1年半経った時、藻岩山ロープウエイを運営する札幌市の第三セクター(札幌振興公社)が、レストランか喫茶店を建てるために資金を用意していることを知りました。その第三セクターがオーナーになってくれて、喫茶店が開けたら最高だと思ったんです。札幌市の景観のことで顔見知りだった市役所の係長に第三セクターの課長を紹介してもらって会いにいくと、課長は「来たな、東田。買ってほしいんだろ? 5000万円くらいならなんとかなるかもしれないけど」と。ほんとは1億円かかると思ったけど、「全然、大丈夫です!」と言って、交渉に入りました。

 移築先候補地は札幌市の所有地だったので、第三セクターの所有地と等価交換してもらい、交換した土地は市の公園になりました。工事代金は施工会社にも協力してもらい、内装はテナントに決まったろいず珈琲館(ロイズコーヒーユニオン)の負担でしたが、外構工事も加えて総額1億円以上かかりました。

──そうしてできたのがこの喫茶店、ろいず珈琲館旧小熊邸なんですね。

東田 はい。1997年に保存が決まり、札幌市長が異例の記者会見をしました。ろいず珈琲館との約束は20年でしたので、ちょうど今年(2017年)11月に閉店となって、今はまた新しいオーナーを探し始めています。

保存が終わりではない。
活用をプロデュースする交渉力

──転機になった出来事は何でしょうか。

東田 保存が決まったら市民運動は終わりで、その後はオーナーが好きなようにやるのが普通です。でも私は再生活用を担いたいと申し出たんです。すると第三セクターの課長は「えー、市民運動つきの物件を買わされるの?」と(笑)。保存決定の翌日、旧小熊邸倶楽部という任意団体を作りました。これは移築に不可欠な復元図を描いたり、会計や掃除を行ったり、実際に汗を流す人の集まりです。

 改修工事は、移築復元の監修者である北海道大学大学院工学研究科の角幸博教授(現・名誉教授)の研究室で、角教授と、札幌市役所景観担当、第三セクター、ろいず珈琲館、内装業者、旧小熊邸倶楽部メンバーが協議しながら決めていきました。

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昭和2年(1927年)に作られた旧小熊邸は、約90年前の造形美がある。それが研究者や技術者の手で復元されている(写真::大槻純一)

──主張がかみ合わないことも多かったのでは?

東田 多かったですね。喧嘩になりそうでしたよ。でも大事なことは、文化的な価値を失わずに、喫茶店としての経営ができること。角教授には、席数確保や動線など営業のための改修の必要性を理解していただき、ろいず珈琲館には、改変してはいけない点を示して解体した古材を再利用するよう要望しました。社長は私に「東田は一銭も出さないくせにうるさい」って言っていましたが、そのうち「お前に全部任せた」って。私たちがマイナスになることはしないと、理解してくれたんだと思います。オーナーの第三セクターも「もう、好きにしていいよ」と。

 90年代半ばの当時は「協働」なんて言葉もない時代。でも理解のある行政の職員さんと、柔軟な考えの角教授に出会えて、私がその人たちをつなぐことができたのだと思います。

 改修工事では建物としてはもちろん、絵ガラスや照明器具、窓の化粧板を復元し、カップ一個までこだわりました。照明器具は昭和2年の古写真を拡大コピーして、古い金属に詳しい市立札幌高専(現・札幌市立大学)の石崎友紀先生に素材を分析していただき、研究費で賄いました。絵ガラスの絵柄は植物学者に植物を特定してもらって、イラストレーターとガラス工房とで復元しました。

高校生の時に接した小樽運河保存運動で
市民のための運動とは何かを考える

──旧小熊邸保存運動は、2001年に第10回札幌市都市景観賞を受賞するなど、その取り組みは高く評価されました。東田さんの歴史的建造物の愛着の原点はどこにあるのでしょう?

東田 私は小樽生まれ小樽育ち。建築の本に載るような味わいあるアパートに住んでいたし、小学校も図書館も小児科医院も古い木造で、小学生の頃から建物が大好きでした。

 高校生の時、70年代の小樽運河保存運動を目の当たりにしました。北大の大学院生が頑張っている姿や、小樽市民が大議論している姿に接することができたのは大きかったです。ただ、運動には東京で学生運動をやっていて小樽に移住してきた方々も加わっており、赤ヘルメット、角棒、座り込み、拡声器……。これって小樽市民の運動なのかなという気持ちもありました。

──小樽運河は、保存にこぎ着けることができたんですよね。

東田 運河の南側が半分ほど埋め立てられ、歩道が整備されたのですが、運動の中心の一部の人たちは「あれは小樽運河じゃない、負けた」と。でも私にしてみればその姿も小樽です。その後、道外資本がどっと入ってきて空き倉庫が買われ、瞬く間に観光地化されていきました。

 そういう経験から、対立の構図ではなく、行政とちゃんと意見交換をし、市民エゴを抑えて対話によるまちづくりのやり方はないのかなと思うようになったんです。

ろいず珈琲館旧小熊邸で開設当時のことを話す東田さん(写真::大槻純一)
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──高校卒業後、百貨店に就職されました。歴史的建造物保存の市民運動のノウハウはどこで身に着けられたんですか。

東田 さっぽろ東急百貨店に販売員として就職し、組合活動に参加するなかで、年数回、東京へ研修に行き、全国百貨店協会のセミナーなども受けるうちに、企業として営利を追求しながら、組合活動という非営利活動ができることを知りました。女性社員がモチベーションを高めて、接客態度や技術を向上させるにはどうしたらいいか。組織運営、意見交換、役割分担の仕方を学びました。当時は男女雇用機会均等法施行直後で、大卒総合職の女性社員と一緒に、アメリカ帰りの講師から女性のリーダーセミナーを受講することもできました。10人に対して話す声の張り方と、50人、100人では違うといった実践的な内容でした。

 配属は家庭用品売り場で、当時は販売員が自分の判断で買い取りをし、ディスプレイし、返品もやっていたんです。催事のための内装業者への発注、見積り、原価計算、人の回転率と人件費の割り出し方などを日常の業務として。24歳で出産退職して3年間、主婦をした後、新聞配達をして自分のお金を作りながらカルチャーセンターでインテリアコーディネーターの講座を受講してみたら、私は図面が引けて見積りもできるということで、28歳で講師になりました。でも、やっぱりインテリアではなく建築そのものやまちづくりが好きだと気付いて講師を辞めたんですが、その時、講座の生徒さんから旧小熊邸の保存活動を聞いたのが始まりです。

──講師を辞めてから生活費はどうしていたんですか。

東田 2007年頃まで新聞配達を続けていました。ただ小熊邸復元の1年の間に、他の建物の保存の相談がきたので、あ、これはいけるかなと(笑)。やがてあちこちからの相談に応じて、その建物で事業化していくパターンができてきました。すると北海道庁から、市民活動の支援センターをつくるから相談窓口として協力してほしいという要請があって、今はNPO活動の相談員をしています。

NPO法人歴史的地域資産研究機構(れきけん)の事務所で(写真::大槻純一)
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──2012年に発足したNPO法人歴史的地域資産研究機構(れきけん)とはどのような組織ですか。

東田 旧小熊邸以後、累計で約700軒の建物に関わっているうちに、街路樹やトンネルといった、建築、土木、景観、都市計画、歴史資料、コンサルティング、レンガや瓦などの職人仕事が関係してくることが分かりました。「れきけん」はそうした専門家のチームです。角教授が北大を退官するタイミングで代表理事になっていただいて立ち上げました。

──2011年の東日本大震災の被災者の姿も「れきけん」につながったとか。

東田 気仙沼、仙台、登米など各地に行って、歴史的建造物が全壊し、文化財の歴史資料も流されてなくなった現場に衝撃を受けました。そんななかで被災者は、自分の家が壊れているのに、歴史的建造物の泥出しをしたり、山から木を切り出してきて新しい鳥居を作ったりしていました。福島県飯館村では、線量が高くて滞在時間が限られたなかで神社を復元しようとしていました。それがないと故郷じゃない、と。歴史は命なんだとわかって、感動で大号泣してしまいました。

札幌市内にあるNPO法人れきけんの事務所にて。建築、土木、景観、都市計画、歴史資料、コンサルティング、レンガや瓦などの職人仕事などの専門家がチームを組む(写真::大槻純一)
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地域資産を発掘して保存・活用する
「れきけん」の飛躍

──「れきけん」は、次々と北海道の歴史的建造物の価値を高めているようですね。

東田 明治時代に建てられた網走監獄(網走市)を移築した「博物館 網走監獄」の8棟は写真も図面もほとんど残っていなくて真正性(本物であること)の証明に苦労しましたが、日本で最大最古の木造監獄という価値を立証することができ、2016年に国指定重要文化財になりました。

 また、江戸時代からニシン漁の網元だった寿都町の「旧歌棄佐藤家漁場」(角十佐藤家)は、既に建物は北海道指定文化財だったのですが、前浜にニシンを一時的に貯蔵しておく袋澗(ふくろま)、ニシンを干す干場(かんば)が残っていて、歴史文書も確認できました。従来なら建物は建築、袋澗や干場は土木、文書は歴史と専門が分かれていて、揃っていることの価値に気づかないのですが、「れきけん」でそれを軸に調査報告書を作って、国指定史跡に1年で指定されました。過去最速だったそうです。

 建物を保存活用するためのNPOや一般社団法人をつくる相談を受けて、さらに、保存後のコンサルティングはそのNPOができるようにする道筋もつくっています。いわばそこに第二の私をつくる。自治体の文化財課や企画課と協力して、子育てスペースやコミュニティカフェなど地域の拠点も北海道内で約30カ所、地域の方と一緒につくりました。ニセコ町の駅前倉庫群の活用や中標津町の旧北海道庁根釧農業試験場本館がNPOの活動拠点になっています。

(写真:ニセコ中央倉庫群)
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(写真:NPO法人伝成館まちづくり協議会)
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ニセコ町の駅前倉庫群(上)や中標津町の旧北海道庁根釧農業試験場本館(下)はNPOの活動拠点に生まれ変わった
(写真:博物館網走監獄)
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(写真:寿都町)
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(上)2016年に国指定重要文化財となった網走市の「博物館 網走監獄」。(下)国指定史跡に指定された寿都町の角十佐藤家

──日本人、特に女性はタフネゴシエーションが不得手といわれています。それが東田さんにできるのは、自分の利益ではなく、公益を考えているからでしょうか。

東田 その通りです。そして公益で動くことが相手にとっても最終的にはよいことだと理解してもらう努力を惜しまないことです。

 NPO活動についてのご相談で感じるのは、意見の対立を恐れていること。それは違う者の排除につながってしまう。意見が違うのは当たり前なんですよ。何がどう違うか、なぜ違うかを、話し合えばいいだけ。特に男性は縦の論理で順番をつけたがる傾向がありますが、女性は上下の関係なく話し合いでコミュニティをつくる訓練ができている。感覚さえつかめばすぐにできると思います。

 NPOは、いろんな人がいないとできないんです。男性が偉そうなことを言えているとしたら、それは会員名簿を管理する人、アンケートを集計する人、いろいろな人が役割を果たしているから。「私は所詮、名簿係だから」なんて、卑屈になる必要は全くないんです。

──行政の役割をどう考えますか。

東田 行政にしかできないことはたくさんあります。建築基準法の適用除外や規制緩和、税金の減免など、法律や条令を柔軟に運用していってほしいと思います。

 歴史的建造物は、お金にならないとよく言われます。確かにガラスケースに入れたような保存は、ただの金食い虫かもしれないけれど、飲食や結婚式、民泊、イベントに活用するための改修費が出る仕組みがいろいろある。2008年から施行されている「歴史まちづくり法」や、国交省の空き家対策事業の補助金も活用できます。ところが、こうした制度をご存知ない行政職員の方も多いように思います。

 行政の担当者は3年で異動になるから、勉強も間に合わないでしょう。だからこそ私たちに相談してほしい。おかげさまで北海道内では周知されてきたので、私の電話は鳴りっ放しです(笑)。

──20年活動を継続してきた東田さんの次なるビジョンは何でしょうか。

東田 建物の保存活用は最初の資金が大変なんです。旧小熊邸倶楽部の資金は代表個人である私が360万円を借金して賄いました。正直、つらかったですよ。だから歴史的建造物専用の基金を創設したいのです。パン屋さんで食パンを買うといくらかが基金に入るような仕組みです。

 そして夢は北海道建築博物館を造ることですね。保存すべき古い手描きの図面建物がたくさんあります。また、これまでの調査報告書をちゃんと保管して、必要な人に貸し出しできたら、今後のためにとても役に立つと思います。

<インタビューを終えて>
旧小熊邸の保存運動を皮切りに北海道の様々な歴史的建造物の保存と活用に実績を挙げてきた東田さん。「取り壊し反対と声高に叫ぶのでなく、これまで保存してくれたオーナーに感謝しないと」「対立の構図ではなく、行政と意見交換をして対話によるまちづくりをしたかった」と語る。意見の異なる人を排除するのではなく、「公益のために」をど真ん中に置いて、その軸をぶらさずに、学者、研究者、職人などさまざまな専門家を巻き込み、行政のサポートも獲得して事業を進めます。そのリーダーシップと卓越したマネジメント手腕に感嘆しました。市民活動のネックは後継者を育てることにありますが、地域の拠点づくりにも尽力し、後継人材を育てることにも注力しています。全国に無数にある歴史的建造物を地域資源として生かすために必要なことを、東田さんより学びました。
麓幸子(ふもと・さちこ)
日経BP総研 マーケティング戦略研究所長・執行役員
麓幸子(ふもと・さちこ) 麓幸子(ふもと・さちこ) 1984年筑波大学卒業。同年日経BP社入社。88年日経ウーマンの創刊メンバーとなる。06年日経ウーマン編集長。12年ビズライフ局長。日経ウーマン、日経ヘルスなど3媒体の発行人となる。14年日経BPヒット総合研究所長・執行役員。15年日経BP総合研究所副所長。16年現職。2014年法政大学大学院経営学研究科修士課程修了。内閣府、林野庁、経団連・21世紀政策研究所研究委員などを歴任。筑波大学非常勤講師。一男一女の母。著書等に『女性活躍の教科書』『なぜ、あの会社は女性管理職が順調に増えているのか』(日経BP社)、『企業力を高める―女性の活躍推進と働き方改革』(共著、経団連出版)、『就活生の親が今、知っておくべきこと』(日本経済新聞出版社)などがある。

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