麓幸子の「地方を変える女性に会いに行く!」

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里山保全で地域に愛され、100年続く産廃会社にする

Vol.07 石坂典子さん(石坂産業代表取締役社長)

聞き手:麓幸子=日経BPヒット総合研究所長・執行役員、取材&文=西尾英子【2016.12.1】

埼玉県三芳町の石坂産業を訪問し驚いた。産業廃棄物処理会社でありながら、その周辺には豊かな美しい森が広がり、夏になればホタルが飛び、やまゆりの花が咲くという。もとは荒廃した雑木林だったというこの場所を、武蔵野の美しい里山に復活させたのが石坂典子さんだ。なぜ、産廃事業者が里山の保全活動をするのか?「地域に愛される会社にしたいというのが原点です。“世の中に必要”と評価されなければ企業価値は生まれてきません」と石坂さんは語る。

石坂典子(いしざか・のりこ)
1972年東京都生まれ。米国に短期留学後、父が創業した産業廃棄物中間処理業の石坂産業に入社。埼玉県所沢市周辺の農作物がダイオキシンで汚染されているとの報道を機に、「私が会社を変える」と父親に直談判し、2002年社長に就任。「自然と地域と共生する企業」を目指し、共に育み共に栄える100年先の企業づくりに挑戦。“見せる・見られる”五感経営を実践し、世界中から見学者が訪れる先進的な環境配慮型企業に変革させた。里山保全再生に取り組み、JHEP(ハビタット認証制度)最高ランク「AAA」を取得。2013年には経済産業省「おもてなし経営企業50選」に選出。地上波テレビ番組出演も多い。日本全国の団体・行政・学校から講師・講演依頼が殺到している。著書に『絶対絶命でも世界一愛される会社に変える!』(ダイヤモンド社)、『五感経営~産廃会社の娘、逆転を語る~』(日経BP社)(写真:鈴木愛子)
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地域の歴史を学び、荒廃した雑木林の再生を決意する

――石坂産業では広大な里山の保全活動に力を入れています。なぜ、こうした取り組みを始めたのでしょうか。

石坂:私が社長になった15年前は、CSRやトレーサビリティなどの言葉が出始めた、いわゆる環境元年と呼ばれた年でした。当時、工場で排出したCO2を海外の植林事業とオフセットできるという国外クレジットが盛んに言われていましたが、どうもピンときませんでした。廃棄物というのは基本的に地元で片づけるものであり、地域特化型ビジネスだというのが私の考え。それなのに、地域に貢献できない環境保全活動は違うのでは?と思ったのです。

 どうすれば地域の人たちに喜ばれ、受け入れてもらえる企業になるのか。この辺りは、東京から一番近い里山と言われていますが、里山が崩壊し、手入れをする人がいなくなった結果、森林が荒廃化して不法投棄が繰り返されていました。地域の歴史を学び直すなかで、地元に愛され、役立ってきた歴史的背景の深い土地だと知り、それなら私達がこの森を再生しようとボランティアで保全活動を始めたのです。

 当初は工場法に基づき、8割が工場で2割が森林の割合でしたが、口コミが広がり、地主さんから「うちの土地もお願いしたい」と頼まれるうちに、東京ドーム約4個分の敷地面積に。今では当社の8割が森林地帯「くぬぎの森(花木園)」と呼ばれる緑地帯になっています。

――「地域に愛される会社になろう」というのが出発点だったのですね。

石坂:産廃処理業者に対するマイナスイメージを向上することで、地域に愛され、そして業界の地位を向上したいというのが原点です。ステークホルダーから“世の中に必要”と評価されなければ企業価値は生まれてきませんし、よい人材も集まりません。

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産廃処理のプラントは重機類を屋内に納めた環境に配慮した屋内型。独自の技術開発で業界屈指の「減量化・再資源化率95%」を達成する。見学用通路を設置して工場見学も開始した。プラントの壁には三富今昔村のイラストが(写真:4点とも鈴木愛子)

利益の中から地域に還元できるようになるべき

――そんななか、地域特化型ビジネスという考えが里山保全につながり、さらに生物多様性の森づくりへと展開していったのですね。

石坂:地域の人たちに聞いた声がヒントになっています。例えば、あるおばあちゃんの「昔はこの辺り一面にやまゆりの花が群生していて素敵だったのよ」という言葉から、咲かなくなった理由を紐解くと、生態系の変化が原因だと分かりました。地域の人達が愛していた光景を復元できないだろうかと考えるうちに、単なる森の保全活動が「生物多様性の森づくり」へと変わっていきました。

 その結果、2012年、生物多様性の定量評価制度であるJHEP認証で日本最高ランク(AAA)を取得。でも、人が来ない森では意味がないし、もったいない。どうすれば森に人を呼べるのかというところから、環境問題が楽しく学べる体験型環境教育フィールド「三富(さんとめ)今昔村」をつくるという発想につながっていきました。

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環境問題が楽しく学べる体験型環境教育フィールド「三富今昔村」は2014年にオープン。ミニSL「くぬぎ号」は子どもたちに人気。中には「くぬぎの森鎮守神」もある。見学者が散策を楽しめるよう遊歩道も整備した(写真:5点とも鈴木愛子)

 ――最高ランクの取得は、日本では2社だけだそうですね。ですが、保全活動には莫大な費用がかかるのではないですか。

石坂:毎年数千万円のお金がかかっています。こうした活動を続けるには、廃棄物の適正な処理単価をいただき、利益の中から地域に還元できるようにならないといけない。それは、廃棄物を出す側の責任だとも思うのです。廃棄するものにお金をかけたくないという考えも根強いですが、それだと相互発展しあえる世の中にはなりません。

 私たちがどういった大義をもって活動しているかを地域の人たちに知っていただきたいという思いから、地域コミュニティクラブ「やまゆり倶楽部」もつくりました。現在、理念に共感し、応援してくださる方々が法人会員含め、3200人ほどいらっしゃいます。入会金や会費はいただいていません。

地域コミュニティクラブ「やまゆり倶楽部」は、石坂さんの理念に共感した3200人の会員が参加(写真:鈴木愛子)
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里山を生かした環境教育活動も開始、評判は海外にも

――里山を生かした環境教育活動を展開するきっかけは、なんだったのでしょうか。

石坂:2011年に防衛省の講演に行った時に、世界三大環境問題は、地球温暖化、生物多様性、廃棄物処理問題だと聞き、「この3つは私たちがやっていることだ」と思いました。当時、持続可能な開発のための教育(ESD)の必要性が叫ばれていたのですが、3つの環境問題と「環境教育」というキーワードが私の中で合致し、「これは教育活動が展開できるな」とひらめいたんです。同年10月に環境教育等促進法が施行され、私たちが民間企業で初となる認定を取得しました。

――2013年から生徒さんの受け入れを始めていますね。現在、年間どれくらいの人数が訪れるのですか。

石坂:年間1万人を超える人が訪れ、学校関係は2000人くらいです。先生たちの間で口コミが広がり、どんどん増えています。

 もちろん受け入れるにはスタッフも増員しないといけませんから、コストもかかります。ですが、見られることで社員の姿勢も変わってきました。子どもがたくさん来るわけですから安全性への意識もおのずと高まります。来る人、迎える側の両方が育つという意味から、私は教育ならぬ「共育」と呼んでいるのです。

――環境教育を通じて、海外との交流にも取り組まれているそうですね。

石坂:環境教育に特化した活動を進めていくことが、森の新しい付加価値づくりだと考え、海外との交流をしています。イギリスやインドネシア、フィンランドの大使などと自国の取り組みや課題を話しました。環境問題は世界の課題ですから、国を超えて意見交換をしながら行動していきたい。そうした考えから「開かれた研究棟をつくりたい」という思いに至り、所沢市に、現在、申請しているところです。建設予定地が、市街化調整区域のため許可が必要なのです。オープンラボで研究開発した技術が廃棄物のリサイクルにつながっていく。そうしたスタイルが世の中のスタンダードになることで、産廃事業の在り方そのものも、見られ方も変わる。大きなチャレンジでもあります。

(写真:鈴木愛子)
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――海外から見学に来る方も多いとか。

石坂:世界16カ国の人が訪れています。海外から見ると、当社の建築廃棄物のリサイクル化率95%というのは、ありえない数字。土地のない日本ではこれまでゴミを焼却してきましたが、海外は埋め立てが主流です。でも、持続可能な社会が求められる中、ゴミを埋め立て続ける世の中でいいのか。そんなメッセージも投げかけています。

 資源循環型の社会を目指すには、世の中にある物質をエネルギーに変えていく技術を私たちが持たないといけません。そのためには、ゴミを出す側に適正料金をいただき、それを開発費用に回す。そして私たちも価格競争に負けない強い会社をつくる。こうしたメッセージを発信していく時に、単なる産廃処理業だとなかなか耳を傾けてもらえないけれど、里山保全活動に取り組むことで興味を持って下さる方が増え、メッセージを受けとめてもらいやすくなるからです。

「場」と「機会」を与えることで新たな文明もつくり出せる

――現在、行政やNPO、地域住民とは、どのような連携をしていますか。

石坂:地域の方々やNPOとは、やまゆり倶楽部で一緒にボランティアやイベントを行っています。自治体との連携はいろいろありますが、環境教育の学校向けのルートコースに指定されていたり、「体験の機会の場」第1号認定、当社が実施している教育プログラム「石坂技塾・くぬぎの森環境塾」が埼玉県職業訓練校に認定されていたりしています。

 女性活用の取り組みにも力を入れており、県のウェブサイトで取り上げられています。地元の三芳町では、森をつくる再生委員をしている関係から共同イベントを行ったり、相互協定を結んで14年にオープンした「三富今昔村」をPRしてもらっていますね。

――里山を今後、さらに生かしていくためには、どういったことが必要だと思われますか。

石坂:私たちが主張していくだけでなく、「場」と「機会」を提供する企業になることだと考えています。例えばこの5年間で、様々な有識者から声がかかるようになりました。このフィールドがあることで、興味を持ってもらえるわけです。まさしく「場」がいろんな機会をつくると実感しています。これを生かして新しいものを生み出さないともったいない。それが、オープンラボという発想にも繋がったわけです。

 また、小中学校の授業の一環として先生たちがここで教えたり、NPOを支援して活動を活性化させたりといった中間支援としての機能も持っています。場を活用して、そこから生まれた人のつながりをうまく融合させることで、新しい文明をつくり出すこともできる。様々な可能性を秘めていると思います。そうした実績が積みあがっていくと、万が一、当社の事業本体と切り離しても、単独で運営させることができ、里山を守り続けることができると考えています。

(写真:鈴木愛子)
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――そうした可能性を広げるために、今、行政に一番伝えたい事はなんでしょうか。

石坂:行政の理解の乏しさを感じる場面が多いので、もう少し中身を見て、寄り添った対応をしてほしいです。せっかく人の集う価値ある里山をつくろうとしているのに、市街化調整区域内だからと、トイレひとつ設置するのもなかなか進まない。環境教育は国が打ち出しているのだから、もっと柔軟に対応してもらえないでしょうか。

 また、廃棄物処理事業への認可の厳しさも、どうにかならないのだろうかと思います。例えば、4年前に申請した機械1つですら、事前協議に時間がかかり、設置許可を取ることが未だにできていない状況です。技術がどんどん進歩するのに、これでは最新の性能を持ったものが手に入らず、廃棄物の処理技術が追い付かなくなってしまいます。一律の対応ではなく、その企業がどんな目的でやろうとしているかを見据えて判断してほしい。もっとチャンスを与えて欲しいなと思いますね。

私たち自身も変わることで世の中の評価を変えたい

(写真:鈴木愛子)
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――そもそも石坂さんは、アメリカで学んだネイルの技術をいかし、その開業資金を貯めるために入社されたと伺いました。いつ頃から思いが変わり、会社の存在価値を感じるようになったのですか?

石坂:父の会社に入社して数年経ち、リサイクルのことや工場の動きが読めるようになると、私たちの事業はすごく価値ある仕事だと思うようになりました。ここには、1日にダンプ300台の廃棄物が運ばれてきます。ゴミですから汚いし、仕分け作業も過酷です。でもそれを受け入れるところがなければ、町中ゴミであふれてしまう。“こうした仕事に関わる人たちがいるから快適に暮らせる”と思えるマインドを持つ社会でないといけないと感じました。そのためには、みんなに廃棄物のことをもっと知ってもらう必要があるだろうと。

 しかし、そんな矢先に起きたのが、所沢ダイオキシン騒動でした。農作物から高濃度のダイオキシンが検出されたとの誤報により、怒りの矛先が私たちに向けられ、産廃処理施設が悪い、出ていけと猛烈なバッシングにあいました。

――99年のことでしたね。

石坂:まだ父が社長をしていた頃です。地域にそっぽを向かれて非常に厳しい状況でしたが、誤解を受けたまま撤退すると業界のイメージが回復できずに終わってしまう。「しょせん産廃屋」という見られ方を変えていく必要性があると決意し、2002年に社長に就任するとともに、様々な取り組みを始めました。

――当初は、社員との軋轢もあったと聞きました。

石坂:社員の4割が辞めました。挨拶しよう、歩き方を変えようというところから始めたせいか、古参の社員からは「女性は細かくてイノベーションを起こせない」とも。恐らく彼のいうイノベーションは、多角経営や規模拡大という意味だったと思います。でも、“人の価値観を変える”“マイナスなものをプラスに転換する”というのも大事なイノベーションです。

 これまで日本は、経済活動の発達とともに様々なモノを生み出し、私たちはその恩恵を受けて快適な暮らしを手にしてきました。けれどその一方で、たくさんの廃棄物も生まれてきた。それらを“片づける人”と“つくり出す人”の評価価値に差がありすぎるのは、良い社会とはいえないと思うのです。そんなメッセージを発しながら、私たち自身も変わることで、世の中の評価を変えたい。チャレンジはそこからスタートしました。

――石坂産業に一歩足を踏み入れると、どの方も丁寧に挨拶をしてくださり、ホスピタリティにあふれた対応に驚かされます。2013年には経産省の「おもてなし経営企業」に選出、14年「埼玉県おもてなし大賞」も受賞していますが、やはり、そうした心が従業員の方にも浸透しているのでしょうか。

石坂:ありがとうございます。当初は、指示通りに行動するのが精いっぱい、それ以前になると、言われたことさえ反発するというところからのスタートでしたが、ようやく自分たちをどう見せるのかを考え、行動できるようになってきたのだと思います。“何をすればお客様の満足につながるかを考えましょう”と言い続けてきたことが実を結んできたのかなと。

――自身がメディアに出るのは、業界のイメージアップと活性化のためだと伺いました。

石坂:この業界は世界的に見ても非常に価値があるから、もっと自信を持って積極的に展開していこうと発信していきたいと思っています。この業界は平均年商が13~14億円くらいで中小企業が多いんです。生き残るには、やはり地域に特化して選ばれる会社であることが大事です。

 私がメディアに出ることで、「あの会社は儲からない事をたくさんやっているけれど、どうやらそうした取り組みが地域の評価につながるらしい」と知ってもらい、付加価値がつくような活動について、それぞれが考えるきっかけになればいいなと思います。今、若い2代目社長に代替わりをしている会社も多く、明るい兆しを感じています。

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くぬぎの森交流プラザは現代の名工・宮大工による木材のみ使用した伝統建築物。プラザ内にはカフェも併設(写真:鈴木愛子)
<インタビューを終えて>
広大な敷地の1割が主要事業である産廃プラント、残りの9割の敷地に美しい多様性の森が広がります。なぜここに年間1万人もの見学者が訪れ、世界中から注目されているのかわかりました。それは、奇跡的な場所だからでしょう。なぜ、一民間企業がそこまでやるのか?「地域に愛されるため。地域に愛されるためのコストは未来への投資です」「儲かる会社だけでは足りない、信頼できる会社、応援したくなる会社をつくりたい」と石坂さんは語ります。CSV(共通価値の創造)経営の実践を学ぶことができました。
麓幸子
麓 幸子(ふもと・さちこ)
日経BPヒット総合研究所長・執行役員
麓 幸子(ふもと・さちこ) 1984年筑波大学卒業。同年日経BP社入社。88年日経ウーマンの創刊メンバーとなる。06年日経ウーマン編集長。12年ビズライフ局長。日経ウーマン、日経ヘルスなど3媒体の発行人となる。14年日経BPヒット総合研究所長・執行役員。15年日経BP総合研究所副所長。16年現職。2014年法政大学大学院経営学研究科修士課程修了。内閣府、林野庁、経団連・21世紀政策研究所研究委員などを歴任。筑波大学非常勤講師。一男一女の母。著書等に『女性活躍の教科書』『なぜ、あの会社は女性管理職が順調に増えているのか』(日経BP社)、『企業力を高める―女性の活躍推進と働き方改革』(共著、経団連出版)、『就活生の親が今、知っておくべきこと』(日本経済新聞出版社)などがある。
■訂正履歴
初出時、リード文が一部重複していたため、重複部分を削除しました。 [2016/12/8 22:25]

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