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麓幸子の「地方を変える女性に会いに行く!」

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川を中心にまちを再生、目指すは小さな世界都市

Vol.06 森山奈美さん 御祓川代表取締役社長

聞き手:麓幸子=日経BPヒット総合研究所長・執行役員、取材&文=西尾英子【2016.10.12】

石川県七尾市は街中を流れる御祓川(みそぎがわ)を中心に港町として発展してきた。「川の再生がまちの再生の鍵を握る」と川の名前を会社の名前とし、川を中心とした「マチ・ミセ・ヒト」の関係再生を目指しているのが、森山奈美さんだ。能登半島地震を契機に、川添いだけでなく能登全体に事業を展開、「能登留学」で全国からインターン生を受け入れ、地元企業とマッチングしている。そこから移住する人も現れ、新規事業も生まれている。

森山奈美(もりやま・なみ)
1973年石川県七尾市生まれ。横浜国立大学工学部卒業。都市計画専攻。95年計画情報研究所入社。都市計画コンサルタントとして地域振興計画、道路計画等を担当。御祓川の設立にかかわり、99年同社チーフマネージャーを兼務。2007年より現職。川を中心としたまちづくりに取り組み、その取り組みが日本水大賞国土交通大臣賞、第7回「川の日」ワークショップグランプリなどを受賞。09年に経済産業省「ソーシャルビジネス55選」に選出。いしかわ地域づくり協会コーディネーター、金沢大学非常勤講師なども務める(写真:鈴木愛子)
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まちのために奮闘する父、男性たちの姿に憧れて

――森山さんが、生まれ育った七尾のまちでまちづくりを目指した原点を教えてください。

森山:そもそも七尾のまちづくりの歴史は1985年頃まで遡ります。当時、経済的に元気を失っていた港町・七尾の現状に危機感を抱いた青年会議所のメンバーが中心となり、「港とともに“まち”を再活性させよう」と、官民一体で「マリンシティ構想」を立ち上げました。91年には、観光交流施設「能登食祭市場」を作り、さらに駅前の商業ビルを整備するなど取り組みを進めてきました。マリンシティ運動のメンバーの中には、当時、建設業を営んでいた私の父もいます。まちのために本気で奮闘する男たちの姿に憧れたのが、まちづくりを目指した原点です。

 高校卒業後は、横浜の大学で都市計画を学び、地元に戻ってまちづくりのシンクタンクに就職。七尾の都市計画に関わった後、99年に民間まちづくり会社、株式会社御祓川の設立に携わりました。

――学生時代から、将来は七尾のまちづくりに携わろうと思っていたのですね。

森山:学生の頃、わざわざ県外からまちづくりのコンサルタントを呼んでいると知り、なぜ地元の人が計画しないのかと不思議に思ったんです。父たちは熱心に「市民のまちづくりだ」と言って運動を展開していましたが、その一方で、周りの同級生は皆、廃れていく七尾に対して冷ややかで、高校の先生も「こんなところにいないで、みんな世界に羽ばたけ!」と。でも私はこのまちが大好きだったし、どうにかしてよくしたいと思っていたので、先生のそんな言葉に対して憤慨していました。

 横浜の大学を選んだのは、同じ港町だったから。ただ、まちに対する思いには大きな差がありましたね。横浜市民は地元に誇りを持っていて、七尾にはない郷土愛があった。それがうらやましかったし、大きな刺激を受けました。

――NPOや第3セクターではなく、完全な民間企業のとしてまちづくり会社を設立した理由はなんですか?

森山:それまで官民一体でまちづくりを進めてきましたが、やはり行政と足並みを揃えていると、スピードが鈍る。そこで、本気でまちをよくしたいと願う8人の有志が腹を括り、1人500万円以上を出し合ってスタートしました。2007年に私が社長に就任するまでは、父が社長を務めていました。

 着目したのは、まちの中心を流れる「御祓川」でした。まちの再生には川の再生が欠かせないと考え、「マチ=川の浄化、ミセ=川沿いに店をつくって賑わいを作る、ヒト=川を中心としたコミュニティ再生」の3つを柱にした事業を進めてきました。目指しているのは、川を中心とした「マチ・ミセ・ヒト」の関係を再生することです。

■御祓川の3つの事業
(資料:御祓川のウェブサイトより)
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企画・運営
  • 日経BP総研


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