――3歳からクルマの絵を描き始め、高校生のときに悩んだ末にデザインの道を選んだそうですが、決め手になったのは何ですか?

奥山氏

奥山 高校は進学校でしたが、デザインというものを知らなくて、最初は絵が好きだから日本画家になろうかなとか、歯医者や船乗りもいいなと迷走していました。そんなときに、先生が「東京ではデザインが学べるらしいぞ」と教えてくれて、それがきっかけですね。アメリカのアートセンターカレッジオブデザインを訪問した時に、自分と同年代の連中が徹夜で目を真っ赤にしながら、僕の大好きなクルマの絵を描いたり、粘土で作ったりしている姿を見て、ものすごいジェラシーを感じました。漠然とデザインをやりたいというだけではダメだと。「自分は何をやってるんだ」と思って、ポートフォリオを作り直して、大学にも入り直して、カーデザイナーの道へ進むことにしたんです。

 クルマは飽きるほどやりましたが、クルマのいいところは、時計も家具もオーディオも建築的な要素もすべてがあるわけですよ。しかも、全体の彫刻的なフォルムも学ぶことができ、時計にしてもメガネにしても、クルマで得た知識をいまでも使えているので、クルマをやっていてよかったなと本当に思っています。米ゼネラルモーターズにはじまり、独ポルシェ、伊ピニンファリーナで仕事をしてきました。そして伊フェラーリのデザインを手掛けることになったのが、ピニンファリーナ時代でした。

【ピニンファリーナ】

 1930年に創業されたイタリアを代表するカロッツェリア(クルマのデザイン工房)。フェラーリのデザインで知られているが、マセラティやアルファロメオといったイタリア車をはじめ、日本車のデザインも手掛けている。デザインの分野はクルマだけでなく、船舶や電車から時計などの日用品までと幅広い。2006年のトリノ冬季オリンピックでは、聖火台とトーチのデザイン及び製造も行ったことでも有名。奥山氏は、デザインディレクターとして活躍し、多くのプロジェクトに携わっていた。

運命の15分に隠されたプロの極意

 奥山氏といえば、フェラーリが創業55周年を記念して製造、販売した特別なスーパーカー「エンツォ・フェラーリ」を生み出したことで知られている。なかでも、一度はフェラーリ会長からNoを突きつけられたピニンファリーナのデザイン案を奥山氏が15分で描き直し、見事に採用を勝ち取ったという「運命の15分」のエピソードは外せない。著書のなかでも、「どうしてプロがアマチュアに勝てるのかといえば、プロは常に量をこなし、来るか来ないかわからないチャンスのために常に準備するからである」と語っている。

【『フェラーリと鉄瓶』 奥山清行著(PHP出版社)】

 2007年に出版された奥山氏初の著書。ピニンファリーナ社を退職し、独立したのを機に、自らの経歴と海外、特にイタリアの文化とものづくりに触れながら、日本のデザインとものづくりについて語っている。奥山氏自身の考えるデザインの在り方を通して、「最高の価値」を生み出す方法を提言している。

Next一度与えられたチャンスは逃してはいけない