2010年4月にスペースシャトル・ディスカバリー号に搭乗した経験を持つ宇宙飛行士の山崎直子さん。1999年2月に国際宇宙ステーション(ISS)に搭乗する日本人宇宙飛行士の候補者に選定されたが、そこへ至る道のりは紆余曲折があった。
 米航空宇宙局(NASA)の宇宙飛行士の選考試験に挑んだ山崎さんは、一度目は書類選考で落ちたが、二度目のチャレンジでは何とかクリアして、筆記の2次試験も突破した。だが、その後に待ち受けていた1年間に渡って繰り広げられた3次試験は、数名のチームで1週間閉鎖環境で過ごし、難解な課題が出題され、それをチームで解決していく様子を試験官が監視カメラでチェックするなど、驚愕の内容の連続だった。そして遂に念願の宇宙飛行士の資格を手にするが、その先にも試練が待ち受けていた。

(インタビュー・文=山田 真弓 インタビュー写真=厚地 健太郎)

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スペースシャトル「ディスカバリー」宇宙飛行士集合写真 (C)NASA
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巡ってきた二度目のチャンス

――宇宙飛行士になる二度目のチャンスは、社会人になってから訪れたのですね。挫折しそうな時期はありませんでしたか。

 二度目の応募はすでに宇宙開発事業団(NASDA/現・宇宙航空研究開発機構、JAXA)でエンジニアとして働き始めてから3年目のときでした。ちょうど仕事が忙しい時期だったため、周囲に対して申し訳ない気持ちでいっぱいになったということはありました。当時、「きぼう」の地上試験作業やISSの新しい実験棟の検討として必要なシステム要件の定義を一つひとつ進めていた時期で、とにかくタフな毎日だったので、宇宙飛行士の試験のことばかり考えていられなかったんですね。願書を出すのも締め切りギリギリになってしまったくらいです。

 しかも試験は1年がかり。休みを取らなければならないため、職場に申し出る必要もありましたが、それでも受けてみたいという気持ちが強かった。もしかしたら、一度目が書類で門前払いだったことも、モチベーションアップにつながったのかもしれません。上司に宇宙飛行士試験のことを伝えたら「受けてきなさい」と快く送り出してもらえまして、忙しい時期にもかかわらず理解してくださった上司や職場の仲間に感謝でした。

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