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【最終回】人と社会は既にAIで変わり始めている(5/6ページ)

中島秀之(東京大学 特任教授)×川上量生(ドワンゴ会長) Part.4

2016.12.26

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ディープラーニングとお嬢さんとオチ

川上:ディープラーニング的な理解で、今までのコンテンツなどを再定義する流れがあってもよさそうな気がするんですが、あまり、そういう研究って見たことがないのは、どうしてでしょうか。

中島:“そういう研究”って、たとえば、どういうものですか。

川上:たとえば、人間がやっている創作活動ですよね。

中島:ああ、はい。

川上:プロセスは明らかにディープラーニング的なことをやっていると思うんですけど、ディープラーニングの先にあるような、そういうものをベースにする技術によって、人間自身の創作活動への理解はかなり進むと思うんですけど、あまり、そういう議論がされていないなって。

中島:創作活動に関する議論は、コンピュータをやっている連中にもいっぱいあるんですけど、ディープラーニングとの関わりっていうのは、あまり聞かないですね。最近、松尾くんが「絵と言葉をいったりきたりするディープラーニング」について、紹介しています。絵を見たら、ディープラーニングが、その絵は何なのかを説明する。たとえば「ギターを弾いている男」とか。逆に「屋根の上の猫」と言うと、ディープラーニングが、何かそれらしい絵をつくる。そういう話を彼が紹介していて、まだ、なんだかぼやっとした画像しか作れませんが、あれがどんどん進化していくと、おもしろいかもしれないと思っています。

――では、ディープラーニングにも、何らかの創作活動ができるかもしれない可能性があるのですね。

中島:私たちは星新一賞にプログラムで書いた小説を応募していますが、オチをどうするか、かなり悩んでいます。ショートショートのオチって、人間の常識を裏切らないと、落ちない。その「常識」という部分が、そもそもプログラムに入っていない。

――これまでの対談でもでてきた「フレーム問題」ですね。

中島:ですから、オチのようなロジカルなひっくり返しの部分は、コンピュータにはとても難しい。パターン認識では、正のデータとして、たとえば、ある動物の画像を「これは猫だ」と肯定する方は学習できるけれど、「これは猫じゃない」と否定する方は、難しいんじゃないかと思うんです。否定、いわゆる“not”は、基本的にイメージと結びつかないですから。

川上:ディープラーニングは、そういう感じの対応をしていないんじゃないのかなっていう気がするんですけど。

――どういう意味ですか。

川上:去年、娘が生まれて、それからは、娘がディープラーニングマシンにしか見えないわけですよ(笑)。ずうっと見ていると、言葉の意味とか、わかっていなくて、単純に「これを言ったら受ける」「受けない」って、周りの反応で「言う」「言わない」を決めているんです。そうすると、オチ的なものとかって、勝手に入るんですよね。「オチ」の意味すらわからないままに(笑)。

中島:ほぉ。

川上:これこそまさに機械学習的じゃないですか。つまり、言葉の意味がつくる論理構造がまだ……どこかの段階で入るとは思うんですけど、とりあえずは、それを無視してしまっているわけです。

中島:でも、お嬢さんだって、そのうち言葉がわかるから。

川上:そのときに言葉の意味を解釈する「中間の層」ができるということですよね。まさにディープラーニングが成功した例ですよ。そういう「説明できないで実行している部分」というものの背後にある意味を、学習をくりかえすことによって見つけ出しているというのは、人間も同じなんだと思います。

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