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家康の作戦? なぜ「東海道五十三次」の終わりは三条大橋なのか(1/5ページ)

2016.06.27

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人生の流れを変えたいときは、「東海道五十三次」を思い出せ

 新年度に入って3カ月。四半期決算が発表されたり、7月に人事異動を控えていたりして、ビジネスパーソンにとっては何かと落ち着かない時期です。特に、新年度から始まったプロジェクトが計画通りに運ばなくて、「どうしたもんじゃろのう……」と悩んでいる人も多いのではないでしょうか?

 いったんスタートしたプロジェクトは、いくら予定どおり運ばなくても、簡単に「見直したい」では通らないのがビジネスの世界。誰もが「それは仕方ない」と納得する理由を示した上で、見直す方向へ流れを変えなければなりません。

 そこで今回は、「東海道五十三次」にまつわるエピソードを紹介したいと思います。

 東海道五十三次といえば多くの人が、歌川広重の浮世絵や、十返舎一九の「東海道中膝栗毛」に登場する弥次さん喜多さんを思い出すでしょう。その影響か、なんだか賑やかで明るいイメージが定着していますが、当初は徳川家康が天下統一のために、江戸城と朝廷のある京都や豊臣家の居城・大坂城との連絡を迅速に行うために整備した、いわば“軍用道路”だったのです。そこには、これまであまり語られることのなかった、家康の「世の流れを変える」目論見が見え隠れします。

 特にキーポイントになるのが、東海道五十三次の西の起点である京都の三条大橋。東海道は五条大橋につながっているのに、家康はなぜ、わざわざ「三条大橋」を選んだのか。その理由を深掘りしたら、「流れを変える」大きなヒントが見えてくるのです。

 それでは早速、東海道五十三次が誕生したエピソードから紹介していきましょう。

三条大橋にある弥次さん喜多さんの石像(写真:殿村美樹)
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