ゆきづまった人生を見透かされたあなたへ

 前回の記事にも、読者からのコメントをいただきました。たいへんにありがたいことなのですが、かねがね思うことがあります。コメントの中には、鋭い指摘がある一方で、記事の内容に過剰に反応するものがあるように見えます。中には、誹謗・中傷に近いものもあるように思えます。

 それらの文面を読む限りでは、おそらく、意に反することを書かれたことに怒りを覚えるものがあるのでしょう。「痛いところをつかれた」といった思いもあるのかもしれません。自分の満たされない心や生活、ゆきづまった人生を見透かされた気もしているのでしょうか。触れられたくない傷や克服しがたい劣等感などに、ダメージを与えられた思いをしているのかもしれません。そこで感情に任せて、「反論のための反論」をしているのではないか、と思える人がいます。

 それらの言い分を読むと、自分が世の中の「常識」や「スタンダード」を代表しているかのような認識のもと、もっともらしいことを書いています。しかし、よく読むと、都合のいいように記事の内容を歪曲しているのではないか、と思います。あえてゆがんだように受け止め、反論をしようとしているものも散見されます。

 企業社会の認識にも事実誤認がないでしょうか。誤認がないならば、もともと、企業社会の実態をさほど知らないのでしょう。私には、この人たちは、自らの人生や私生活においての憂さや不満を晴らしているにすぎないと思えなくもないのです。

 私は、この人たちに感情的に反発しようとは思いません。自らもまた、会社員の頃、不満を覚え、周囲に当たったり、愚痴をこぼしたりしたことがあるからです。