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現場が自律的に改善に取り組むように企業風土を改革【前編】――指示が大雑把でも考えて動いてくれるようになるまで(1/3ページ)

2014.12.01

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 約4000もの町工場が集積する東京・大田区。ここに異才を放つ女性経営者がいる。金属加工メーカーであるダイヤ精機の代表取締役、諏訪貴子氏である。諏訪氏は、創業社長である父親の逝去に伴って、2004年に社長に就任。当時は自動車業界の再編の嵐にのみ込まれ、同社は苦境に立たされていた。諏訪氏は会社立て直しのために数々の改革に着手。これが功を奏し、社長就任1年目から黒字に転換した。この記事では、諏訪氏の改革手法を掘り下げていく。まず前編では、現場で意思を通わせるために行った風土改革を取り上げる。

社長である父から2度リストラされた

 「私は、こういう性格なので現場への指示はいつも大雑把。社員が考えて動いてくれるから、きちんと会社が回っていくんですよ」。ダイヤ精機の代表取締役、諏訪貴子氏は同社の好業績の秘訣を、このように説明する。

ダイヤ精機株式会社代表取締役の諏訪貴子氏

 同氏は父である創業社長の後を継いで、2004年に就任した2代目社長。というと、順風満帆に経営者の座に就いたと思われるかもしれないが、そうではない。大学卒業後に大手メーカーのエンジニアを経てダイヤ精機に入社するが、2度のリストラに遭うことになる。同社を2回退社した後、父の逝去に伴って社長に就いたのである。

 精密金属加工を手がけるダイヤ精機は、社員が40人の典型的な町工場。諏訪氏は1998年の最初の入社時に大手メーカーで学んだ手法を採り入れようとするが、父には受け入れてもらえなかった。 「請われて入社したのですが、大手メーカーのやり方と大きく違っていることに愕然としました。当時、ダイヤ精機が主力としている自動車業界は世界的に再編が起こっており、私たちのような下請けメーカーはどこも苦境に立たされていました。そこで前職で学んだ手法を採り入れて、私なりに会社を立て直す改革案を作って、社長である父のところに持っていったのですが全く容認されませんでした。不採算部門の縮小や人員削減など社員の痛みを伴う改革案だったので、認めづらかったのだと思います」(諏訪氏)

 「リストラが必要ならば、おまえが辞めろ」。これが父の下した決断だった。入社からわずか半年。リストラを提案した諏訪氏がリストラされてしまったのである。2年後の2000年、また父に請われて入社するも、同じ行動に出て再びリストラの憂き目に。

 主婦業に専念していた2004年に父が逝去。ダイヤ精機は赤字の状態でいまだ苦境に陥っていたが、悩みに悩んだ末に社長に就いた。当時、諏訪氏は32歳。年下の社員は3人しかいない。この若さで、父のように職人たちを率いる自信はなかったが、「会社を守りたい」という思いで火中の栗を拾いに行った。

 社長に就くと3カ年の経営改革計画を立案し、実践に移した。この計画の表向きの目的は業務改革としていたが、実は社内の風土改革へつなげていたことが経営立て直しの鍵となった。

諏訪 貴子(すわ・たかこ)
ダイヤ精機株式会社 代表取締役
 1971年東京都生まれ。大学卒業後、大手メーカーでエンジニアとして働く。1998年にダイヤ精機に入社するも、人員削減などで父である創業社長との意見の相違からリストラされる。2000年に2度目の入社をするが、再びリストラ。こうした経験を経て、2004年に父の逝去に伴いダイヤ精機の社長に就任。2代目経営者として業務改革と風土改革に取り組み、同社の業績を回復させた。2011年より、経済産業省・産業構造審議会委員。2012年に『日経ウーマン』誌の「ウーマン・オブ・ザ・イヤー 2013」大賞を受賞。著書に『町工場の娘 主婦から社長になった2代目の10年戦争』(日経BP社)がある。
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