客先で理不尽な目に会うということは少なくない。しかし相手はお客さん。あるいは、上司の叱責が不合理でしかたがないが、とりあえず済んだこと……、そういう心だけがやりきれない状態に陥ったとき、ごく気休めにしかならないが、小さくて笑える儀式をもってみるとよい。

心のなかでいやな思いのろうそくを吹き消してみると、少し気休めくらいにはなる。慣れると些細なことにはくよくよしない訓練にもなる。
私はこうしている。あまり人から見られないところで目をつぶって、嫌な気持ちを心の中のろうそくの火にイメージして点す。炎が燃えるようすと嫌な気持ちを重ね合わせて、もういいかなと思ったら口でふーっと吹き消す。実際に口で息を吐いてみる。ああ、消えたなと思ってお終い。
ポイントは、いやな気分が炎になって燃えている感じをつかんでから、やさしくふーっと消して息を吐き出し、それが自然に深呼吸になることだ。
そんなことで気が晴れるわけないだろうと笑う人もいるかもしれない。自分でも滑稽だなと思う。むしろその滑稽さもポイントだ。こういうときは自分を笑うしかない。
上位バージョンがある。嫌なやつを思い描く。そして子どもの頃教科書の偉人の顔にらくがきしたように、嫌なやつの顔を思い描いてから、そこにらくがきを描く。心のなかでやーいと笑う。ポイントはここでも笑うこと。憎しみをかき立てるのではなく、子どもっぽいいたずらでもしたような気分で笑うことだ。さらに上位バージョンもある……いや、そこはいろいろ各人が工夫されるとよい。笑えるようなのがよい。
今ではほとんど見られないと思うが、昔は嫌な訪問客が帰るときに「塩をまく」ということがあった。塩をまいてもどうとなるものでもないが、気分くらいは晴れるだろうし、気分くらい晴れればいいという昔の人の知恵だった。聖書のなかでイエス・キリストが使徒たちに村々に布教させたおり、聞き入れてくれない村があればそこを出るとき、かかとの土を落としなさいと教えている。それで嫌な気分を忘れなさいというユーモラスな儀式だったのかもしれない。
儀式なんて非科学的なことだが、気分が晴れる些細で愉快な儀式くらいはあってもよいだろう。最後に、さっきの、嫌なやつ対応の上位バージョン儀式についてこっそり教えよう。寝る前に嫌なやつを思い出したら、心のなかにおもちゃ箱を作って、そこに入れて朝まで出られませんよとするのだ。かくして夢に出てくるのはおもちゃだけだ。
テクニカルライター。1957年東京生まれ。国際基督教大学卒業後、同大学院で言語学を学ぶ。1990年前半友人と翻訳・テクニカルライティング事務所を経営。1994年末、インターネットによる遠隔地業務可能に合わせフリーランスとなり沖縄に移住。2002年東京に戻り現在に至る。「日経クリック」(現在休刊中)で10年間Q&Aを担当。日経トレンディネットネットで起きてる最新トレンド、およびGoogle調査隊のコラムを執筆中。著書、『ブラウザのしくみ』(技術評論社)、『Ajax実用テクニック』(ナツメ社)など。





