復興経営

「手元に残ったのは、カメラだけだった」

地元カメラマンが写真で綴った被災地の9カ月

2011/12/14
伝農 浩子=ライター [復興ニッポン]

 3月11日、東日本大震災が起きたその時に、南三陸町にある写真館の2代目、佐藤信一さんは側にあったカメラバッグだけを手に取ってスタジオを飛び出し、高台に避難した。この時から、それまでとは違う気持ちで、南三陸町の姿を撮り続けている。半年間を記録した写真は、「南三陸から 2011.3.11〜2011.9.11」という写真集になり、9月末に刊行された。

佐藤信一さん
1966年、宮城県本吉郡南三陸町生まれ。親子二代、南三陸町で写真館「佐良スタジオ」を営んでいたが、2011年3月11日、東日本大震災の津波により自宅及び写真館を失う。「一番苦しいときの写真を残す。この先、何が起きても、みんなが乗り越えられるように」と、唯一持って逃げたカメラひとつで地震直後から失われた街が元通りになるまでの道のりを今も撮りつづけている。

「床上浸水は覚悟。夜には家に帰るつもりだった」

 三方を山に囲まれ、海に向かって広がる典型的なリアス式海岸。南三陸町は青森県南端から宮城県北部へと続く三陸海岸にある美しい町だった。海は時々暴れるものの、多くの恵みをもたらしていた。

避難所にもなる学校はすべて高台に。グラウンドの見える場所のうち、左が志津川小学校、手前は志津川中学校、右奥が志津川高校。
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 3月11日、佐藤さんは、地震が起きると家族を避難させ、お客さんからの預かりものなどを2階に上げると、カメラバッグひとつをつかんで近くの高台、志津川小学校へと避難した。

 51年前の1960年5月24日早朝に到達したチリ地震津波の記憶が、今でもこの町に陰を落とし、たびたび地震や津波の被害に遭ってきた歴史から、「逃げる時は“遠くへ”ではなく、“高所へ”」という教えが徹底している、という。

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