私はあなたの意見には反対だ、だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る──ボルテール
昨年来、科学とIPCC(気候変動に関する政府間パネル)の関係が新聞紙上でも大きく取り上げられ、IPCCに対する信頼が揺らいでいるようにも思える。その代表的な例が、英イーストアングリア大学の気候調査部門から漏出した膨大な電子メールの内容を巡る疑惑であり、ごく最近では、ヒマラヤの氷河消失に関するIPCCの記述の基となる文献の信頼性の問題である。これらはいずれも、温暖化の科学、あるいはその影響についての問題である。他方、政策決定と(科学としての)IPCCの役割についても看過できない誤解がある。筆者は、たまたまIPCC第3次および第4次評価報告書の執筆に、代表執筆者(リードオーサー)の一人として参加した経験を持つ。今回の事件を機に、科学とIPCCの関係について考えてみたい。まずは、政策決定とIPCCの役割の誤解についてから始めよう。
筆者がIPCCの第3次評価報告書の代表執筆者として、初めてIPCCの会議に参加したのは1998年6月の末、場所はドイツの片田舎、バッド・ミュンスターアイフェルのホテルであった。
ここでは、初日にIPCCのロバート・ワトソン議長(当時)による挨拶(あいさつ)があり、その冒頭で執筆者に対する心構えとして、「IPCCの評価報告書(以下、IPCC報告書)は政策決定者に選択肢を与えるものであり、彼らに何をすべきかを示すものではない」との話があった。この一言が、IPCC報告書の性格を最も良く表している。これに加えて代表執筆者の役割は、その時点で公にされている(査読付き)論文を読んだ上で、これらのエッセンスを科学的・中立的な立場から整理して、政策決定者に提供することにあるとの話もあった。IPCC報告書は、代表執筆者が意見を戦わせた上で、合意した内容を書くとばかり思い込んでいた筆者には新鮮な驚きであった。
















