一連の品質問題で揺れるトヨタ自動車だが,国際規格制定よりもはるか以前に品質マネジメントの体制を構築するなど,日本製造業の品質向上を常にリードしてきた存在だった。その同社で,なぜ今回のような問題が起きたのか。モジュラーデザインの第一人者でトヨタ研究家でもある日野三十四氏は,製品段階での品質検証の重要性を説いた創業理念が風化しつつある可能性を指摘する。一見関係の薄そうな創業理念と品質にどのような関係があるのか,トヨタの歴史をひも解きつつ,同氏に解説してもらった。(日経ものづくり)
(前回から読む)
「創造的なものは,完全なる営業的試験を行うにあらざれば,発明の真価を世に問うべからず」---。これは,明治時代に自動織機を発明して日本の経済発展をもたらした発明王で,トヨタ自動車の社祖である豊田佐吉の語録である。一般に発明家は,発明の過程での苦労は喜びとするが,実用化の過程の苦労は苦手とする。佐吉は両面を備えた真の実業家であった。後に佐吉の長男でトヨタ自動車の創業者である豊田喜一郎の手によって,佐吉の精神は5項目からなる「豊田綱領」として明文化された。従って,豊田綱領は佐吉だけの精神とはいえない。喜一郎の経営に対する想いの丈も込められた合作だと見るべきだ。第1項目の「産業報国」という語句に始まり,第5項目の「報恩感謝」で締めくくられているように,佐吉と喜一郎の根本精神は「人と社会に奉仕する」使命感であったといえよう*1。
一、 研究と創造に心を致し、常に時流に先んずべし。
一、 華美を戒め、質実剛健たるべし。
一、 温情友愛の精神を発揮し、家庭的美風を作興すべし。
一、 神仏を尊崇し、報恩感謝の生活を為すべし。
「製品だけではなく生産システムも監査することによって,製品を改善せよ」。これは豊田喜一郎の語録である。生産システムとは,設計から販売,アフターサービスまでの製品を造るすべての仕事のやり方である。1935年11月,喜一郎は最初の製品である「G1型トラック」を発表し,数十台を市場に販売した。ところが,市場では故障が次々と発生して,新聞には「豊田車,また故障」という見出しが踊った*2。幸い(?)なことに当時の豊田車の部品はほとんどが米Ford Motor社のクルマのコピーだったので,速やかに部品が交換され,大事には至らなかった。

















