
ビジネスの世界で意外に難しいのが、「恩を売る」「恩を受ける」という“恩”のやり取りだ。数字で見えるものではないが、お金のように貸し借りできる面がある。
仕事で無理を仲間に頼む時、「あいつには恩があるから少し無理してもやるか」と思ってもらえばなんとかなる。では、そんな時のために「恩を売る」方がよいかというと、実際には恩にならなかったり、煙たがられたりする。どうするか。正解はないが、中国の古典の処世訓集「菜根譚」に示唆に富む言葉がある。
「恩仇のともにほろぼすにしかず(不若恩仇之倶泯)」
恩の意味は分かりやすいが、「仇(きゅう)」は「恨み」の意味だ。現代風に解釈するなら、「恩と恨みはなかったことにするのがよい」ということになる。
恨みをなくすのはよいとしても、恩をなくすのは困ったことだ。ここは「受けた恩」ではなく、「売った恩」に限定したい。自分が売ったつもりの恩は、恩着せがましく覚えていないで忘れなさい、ということだ。
「それでは恩を売ったかいがない」というなら、まさにそういう心理が恩着せがましく見られたり、嫌われたりするもとになることを知っておこう。「恩を売った」と思わずに、普通の親切くらいにして過ごしていく方がよい。
菜根譚では、この言葉の前に「仇は恩によりて立つ」ともある。恩のあるところに恨みもあるというのだ。解釈は難しい。恩というのは不公平なもので、誰かに恩を売れば、その恩に預からない人からは妬みを買う。また、恩着せがましくしていると恨まれるということもある。
つらい状況で、上司や仲間からなど「ああ、恩を売ってもらったな」という時は、ほかの人に目立たないように感謝を表したい。また、「ここでちょっと恩を売っておくか」という場合でも、その後は恩着せがましく覚えていないで忘れてしまおう。
菜根譚には関連して、「人というものは恩は返さなくても恨みは必ず返すものだ(人の恩を受けては深しといえども報ぜず、怨はすなわち浅きもまたこれを報ず)」という言葉もある。人間不信になりそうな言葉だが、「恨みは必ず返される」という人の心のありかたは、良し悪しの問題というより人間関係の現実だと理解しておきたい。
テクニカルライター。1957年東京生まれ。国際基督教大学卒業後、同大学院で言語学を学ぶ。1990年前半友人と翻訳・テクニカルライティング事務所を経営。1994年末、インターネットによる遠隔地業務可能に合わせフリーランスとなり沖縄に移住。2002年東京に戻り現在に至る。「日経クリック」(現在休刊中)で10年間Q&Aを担当。日経トレンディネットネットで起きてる最新トレンド、およびGoogle調査隊のコラムを執筆中。著書、『ブラウザのしくみ』(技術評論社)、『Ajax実用テクニック』(ナツメ社)など。






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