(前回から読む)
前回は、平成建設工務部主任・渡邉徹の仕事へのこだわりと、その背景などに触れた。最終回は平成建設と渡邉とをめぐる2つの「逆転」現象と、大工たちが共有する職人の手への憧れについて紹介する。
2つの「逆転」現象
京都大学の大学院でも、ゼミの教授の推薦する会社の中から決める人たちが多かったんですよ、と渡邉は話す。修士課程1年目のことだ。
「大手ゼネコンが無理だったら国家公務員か、みたいな雰囲気でね。でも、人生の大半を仕事をして過ごすわけだから、会社の大小とか、給料が多いとか少ないとかより、自分が好きなことや面白いと思うことをやらないと意味がないじゃないですか。教授の推薦がもらえるからなんて、限定された範囲で仕事を選ばなきゃいけないのは、不自由ですよね。大企業の先行きだって不確かな世の中なのに…」
そんなふうに自分の選択肢を狭めてしまうのはもったいない、と彼は付け加えた。
ラグビー部の同期たちとの忘年会でも、大手銀行や中央省庁に進んだ人間たちが「仕事が面白くない」と愚痴る一方で、渡邉に「自分の好きなことを仕事に選んで良かったな」とか、「(メディアに平成建設が取り上げられる前の)あの時点で今の会社を選ぶなんて、お前、見る目あるなぁ」と羨ましそうに言う。かつては、「京大の大学院出て、なんで職人なんだよ」と首をかしげていた友人たちだ。30歳前後にして、渡邉と同期との形勢は逆転している。

渡邉自身は「やっと分かってくれたか」と思う半面、別に会社や自分がマスコミに登場したかどうかではなく、他人の目など気にせず、自分の性に合った仕事を選んだだけなんだ、とも思う。
京大ラグビー部同期の谷口誠は、学生時代に渡邉が「伊勢神宮のような日本の伝統建築を作りたいから、大工になりたい」と話していたことを覚えている。谷口が知る範囲で、テレビに平成建設が取り上げられた際、渡邉は2回登場しているはずだが、渡邉が事前にメールで仲間に知らせてきたのは最初の一度だけ。2回目になると押し付けがましいと考えて止めたのだろうが、そんな気配りがいかにも彼らしいと話す。
そもそも、渡邉には「いい大学からいい会社」へという発想がなかった。
「昔から、あまり先のことは考えられないタイプなので。現役の時は、大阪大学の土木を目指していたんです。だから浪人が決まった時、どうせ1年間勉強するんなら、より難関にチャレンジしたいと思って京大を選んだだけですから。それで京大に受かったので。その時の成功体験があるから、頑張れば大抵のことはできると思っていて、それで大工職人という仕事を選んだというのはあります」
彼にとっての「京大」と「職人」は、その時々でチャレンジする対象としては等価で、そこに優劣はない。だから「高学歴大工」という言葉にもピンとこない。むしろ京大もただの大学に過ぎないのだから、いたずらに過大評価せず、自分がどんな仕事に就こうが放っておいてほしい、と言う。
渡邉の話を聞いていると、大学名と会社名を結びつけたがるのは一昔前の先入観だったことに改めて気づかされる。経済成長が続いている時代なら、まだ「大学名」と「会社名」と「安定した人生」は一体のものだったかもしれない。






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