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120年以上の歴史を持つ新日鐵住金釜石製鉄所では、高炉を休止した今でも線材の製造を続けている。かつて「鉄の街」として栄えた時代、釜石は日本全国から人が集まり「東北の上海」と呼ばれた。

人を組み替える

2014.12.08

「東北の上海」釜石はよそ者とつくる

〈開放〉と〈転換〉の釜石学

釜石市 野田市長に聞く

地域創生 地方 雇用 成長戦略

中小企業が根ざす場としての「地域」はこれからどうなるのか。これまでにも増して「人口減少」や「地方の消滅」が取り沙汰されている全国の地方自治体共通の問題に、先行して直面したのが東日本大震災の被災地といえる。復興とともに三陸の拠点都市となることを目指す釜石市の野田武則市長に、「ポスト復興」の戦略を訊く最終回。

「東北の上海」釜石人の気質

釜石市では今、東京や他の地域で活躍する人たちを積極的に受け入れて力を発揮してもらおうと、「オープンシティ」を合言葉に、多様性のある開かれた街を目指そうという動きが出てきています。

「オープンシティ」と言うと唐突なようですが、釜石は製鉄所が全盛の頃、全国各地から人が集まる街でした。そのため今でも、古くからの住人の割合が少ないのです。釜石では先祖代々、数百年住んでいるというような人は稀で、もしかすると明治以降に住み始めた方のほうが多いかもしれません。そしてこのことは、釜石の人の気質に影響を及ぼしているように思います。

また、作家の井上ひさしの母親マスさんも居住者の一人です。山形からわざわざ、一家で釜石にやって来ました。当時は「釜石に行けば飯が食える」と思われていた時代で、製鉄所は高炉の火を絶やさず、一日三交代制で24時間稼働していました。道路には屋台が並び朝まで煌々と灯りをつけている、眠らない街だったそうです。戦前に釜石を訪れた林芙美子は小説中で「町の賑やかな灯りは、さながら上海の夜のようだ」と書いています。

釜石という街は、他の地域の「よそ者」が愛着を持って往来してくれていた街です。もちろん農業や漁業を営む人たちは古くから住んでいますが、彼らにしても外からやってきた人たちのおかげで生活が向上したので、「よそ者」を悪く思ってはいません。地方都市とは思えないほど、オープンな気質なのです。

よそ者の技能を活かす「釜援隊」

釜石市では2013年から、「よそ者」の技能を活かす取り組みとして「釜援隊」という事業を始め、今まさに成果を出しつつあります。釜援隊は坂本竜馬の「海援隊」をもじったものです。総務省の復興支援員制度を活用した仕組みで、全国から30代~40代を中心に、多様な人材を個人事業主として市に受け入れました。釜石の抱える課題解決のため、それぞれ地域に入って、市内のNPOやまちづくりの議論をおこなう団体を支援したり、ステークホルダー間の連携をサポートしてもらっています。

「釜援隊」の人びとは、多様な専門技能やバックグラウンドを持ち、「よそ者」ならではの知恵や知識、ネットワークを生かして活動しています。震災復興のために国の制度を利用して来ていますので、いつかは帰ってしまう存在かもしれません。ですから、彼らがかかわっている組織や団体が将来的には自立して、目的を達成できるようになることを目標に取り組んでいます。

よそ者に何ができるか

「釜援隊」にサポートしてもらっている取り組みの一つに、第六次産業の育成があります。

イオンをはじめ、企業誘致はまず雇用の確保になりますし、企業の利益は人件費や固定資産税といったかたちで地域に落ちます。しかし、企業が原料などの仕入れを他の地域から行う場合、どうしてもお金の大部分は他に流れてしまいます。企業の売り上げが地域内経済の活性化に寄与するかどうかという意味では、原料から加工、販売まで、すべて地域で完結する六次産業化がうまくいくと、非常に効果が大きいのです。

しかし地元の中小企業の多くはそれぞれの分野に特化している場合が多く、原料の生産から製品の企画、販売までを行う六次化というのは、なかなか一社ではうまくいきません。そこでいま、地域の企業がそれぞれの得意分野を活かしながら共同で新製品の開発をしようとしています。参加企業にとっては、企業間の連携プロジェクト自体が初めてであることが多く、マーケティングや企画に詳しい第三者がかかわってくれると、非常に効果が出やすいのです。

「釜援隊」ばかりでなく、震災以降はこれまでよりも多様な人たちが釜石にかかわってくれるようになりました。市民の自主自立の意識を涵養する上でも、よそ者の知恵は私たちにとって、とてもありがたいことです。復興期間はやがて終わりますが、その後も釜石が三陸の拠点として、人を引きつける街であり続けることができるか、今が正念場です。釜石を魅力的な街にしていくため、市民と「よそ者」の皆さんと一体となって、力を尽くします。

 

野田 武則(のだ たけのり)
野田 武則(のだ たけのり)
 
昭和28年2月4日生
昭和51年3月 専修大学法学部卒業 学位 法学士
昭和63年4月~平成18年3月 学校法人野田学園甲東幼稚園園長
平成15年4月~平成19年10月 岩手県議会議員
平成17年11月~平成19年10月 学校法人野田学園理事長
平成19年11月~ 釜石市長(現在2期目)
平成23年4月~ 岩手県沿岸市町村復興期成同盟会会長

・大きく被災した岩手県沿岸地域全体の復興に向けて活動中

平成23年5月 中央防災会議専門調査会委員

・被災地唯一の委員として、被災地からの生の声を伝え、今後の防災・減災のあり方を提言

 

語り:野田武則/構成・写真:須賀喬巳

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農業の川上から川下まで、すべて自分たちの手で行う完全な「第6次産業」を展開。農業の環境づくりとともに、「食育」にも力を入れている。

プロフィール

〈開放〉と〈転換〉の釜石学

「鉄」「ラグビー」「海」……小さな地方都市が、なぜ幾度も注目を集めてきたのか。街で復興に尽力する人々から学び得たことの肝要は、古くから根ざしたオープンな風土と、発想を転換させる力にあった。