リップシャッツ 信元 夏代
アスパイア・インテリジェンス社 代表取締役

 前回、「文化とは氷山のような形をしている」というお話をしました。日本は、氷山のWHATの部分(見えている言動)が非常に少なく、WHYの部分(水面下に隠れている価値観や暗黙の了解など)が非常に多い「察しの文化」である、と言われます。そのような文化圏にある日本では、アメリカの常識ではなかなか理解がしづらい、“独特の暗黙知”というのがいくつかあります。

 そのうちのひとつが-「恥」-です。

出る杭は打たれる横ならび文化

 先月子連れで日本に一時帰国しました。その際、改めて日米間の価値観の違いを感じた出来事がありました。「恥の文化」です。

 筆者の娘は今2歳半。歌が大好きで、所かまわず歌いたいときに歌いたい歌を歌います。ニューヨークの地下鉄の中でもいつも歌っています。乗り合わせたほかの乗客から「上手ね!!」「将来は歌手かしら?!」「なんてかわいいの!」などと賞賛を浴び、本人も益々得意になって歌声がどんどん大きくなっていき、ダンスまではじまってしまうことも。

 日本帰国時にも娘は当然、電車やバスで同じように歌を歌っていたのですが、あまりの反応の違いに驚きました。
賞賛はおろか、顔がほころぶ人すらほとんどおらず、聞こえても見えてもいないかのように、表情ひとつ変えない人ばかり。中には、「あんなことを許している母親は恥ずかしくないのか?」「恥ずかしいからもっと小さい声で!と注意するのが常識じゃない?」と言わんばかりの眼を向ける人もいたほどです。

 この「恥ずかしい」という感覚 ―― 常識どころか、日本独特のもの。欧米人にとっては非常に不可解に感じられるのです。

 「人前で目立ったことをしない」「変わったことや違うことをしない」「秩序を乱すような言動はしない」 ―― 暗黙のうちに了解されている様々な社会的ルールを守るということは、ホフステッドの「集団主義」(以前の本コラム参照)にまさに当てはまります。そのような社会の中で「個人主義」的行動を取ってしまうと、それは「恥ずかしい」とみなされますから、集団に溶け込み、和を乱さないよう言動を選ぶのが「常識」です。

 この「恥」という価値観があるからこそ、社会の秩序が守られていると考えるのが日本の伝統的な考え方でしょう。古来からの日本文化において、「恥」は美徳なのです。だからこそ、「出る杭は打たれる」ということわざがある通り、横並びであることが周囲に溶け込み、平穏を保つことに繋がるのです。