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21世紀医療フォーラム 良い医者、良い医療を創るプロジェクト
トップページ医療を変える医学的診断と共に不可欠な「命の診断」を

超高齢社会における死生観を考える

医学的診断と共に不可欠な「命の診断」を

2015.01.27 取材:21世紀医療フォーラム事務局長 阪田英也 構成:同取材班 但本結子

千葉大学名誉教授 齋藤 康 氏

千葉大学名誉教授
齋藤 康 氏


1942年生まれ。
1968年新潟大学医学部卒業。
1995年千葉大学医学部内科学第二講座教授。
2005年千葉大学医学部附属病院長。
国立大学附属病院長会議常置委員長。
2007年千葉大学理事・副学長及び細胞治療学教授兼任。
2008年~2014年3月まで千葉大学学長。
2014年4月より現職。
専門は動脈硬化、脂質代謝、肥満症


2011年から4年にわたり開催されてきた「ASIAN AGING SUMMIT」の中で、第1回からテーマを変えず開催してきたのが、「死生観、終末期医療、国民教育」である。また、このシンポジウムでは千葉大学名誉教授の齋藤康氏に第1回から継続して座長を務めていただいた。

齋藤氏は、「過去3回のSUMMITでの討議を基盤として、向かうべき方向を打ち出さねばならない」と述べている。これは、日本人の死生観の確立、終末期医療の基盤としての人間の尊厳についてのコンセンサス、そして、これらの概念を多くの人々に受け入れてもらうことである。齋藤氏が提唱する「命の診断」という概念を中心にお話を伺った。

高齢者の死。
その尊厳を守る「命の診断」

過去3回(2011年~2013年)のASIAN AGING SUMMITの中で、齋藤先生は「死生観、終末期医療、国民教育」をテーマとするシンポジウムで座長を務められ、講師との間で討議を重ねてこられました。今回のシンポジウムにおけるテーマ、議論のポイントについて、お聞かせください。

齋藤 “1分1秒でも長く生かす”ことを善とした医療がもたらした功績には、偉大なものがあることを認めます。しかし時に人間の尊厳が保たれているだろうかという疑問を持つ例もあります。生物として生きること、人間の尊厳を保つ命を支えることをどう分けて、その重みを考えていくのかということです。

それが、齋藤先生が提起されている「命の診断」ですね。これについて、詳しく教えてください。

齋藤 “死”を診断する方法の1つに医学的な診断があります。これは脈や呼吸、瞳孔などを診ることで、医学的にはっきりと診断できます。そして、もう1つ、その人の死を受け入れる、受容するというものがあり、私はこれを「命の診断」と表現します。

例えば、80年間生きた人であれば、その間に過ごした家族や友人、知人がいるでしょう。その人がまだ呼吸をしている状態であっても、親しい人たちにとっては、「ああ、もうこの人は天国へ行ってしまった」と思う瞬間があります。これは、その人の有する命や人生そのものを考え、その人らしい「みおくり(看送り)」をするためのコンセンサスとしてあり得るのではないでしょうか。

これまでのような医学的診断はなければならない。しかし、別な見地から「命の診断」というコンセンサスを創っていくべきだとお考えなのですね。

齋藤 そうです。1分1秒でも長く生かそうとする医学的死の判断も当然あっていいのですが、我々医療者が考えるべきは、どういうときにそれをやるかです。

看取り医がするように、まだ呼吸もしているし、脈も動いているから、とにかく生かしたい。一方で、家族や友人にとっては、この人は静かに逝かせてほしいという、親しい人たちの間に「命の診断」のコンセンサスが得られるときがあります。医学的診断と「命の診断」。これはどちらが上か下という話ではありません。何が何でも医者の診断がなければ“死”ではないという今の状況に、「命の診断」という新たな考え方を提起したいと思います。

私が繰り返しコンセンサスと言うのは、今の段階ではそれしかないからです。例えば、病院で心臓マッサージをして、心電図ではその拍動が見られない。この時、医者は家族を集めて「重篤な状況ですが、どなたか会わせたい人がいますか」と尋ねますが、この時多くの人は「います」と答えます。

そこで、会わせたい人を呼ぶと家族も会われた人も安心すると共に納得します。そして、主治医は初めて「ご臨終です」と告げます。そんなことに一体何の意味があるのかと考える人もいるでしょう。しかし、この儀式によって家族が納得し、恐らく本人も納得できただろうという道筋ができる。

そうであれば、納得するという意味において、医者の診断と「命の診断」は、同等の価値がある診断の手法ではないでしょうか。

意思も通じず眠っているだけで、こんな苦労はさせておけない、人間としての尊厳も保っているとは言い難い。それでもなお1分1秒を争って生かしてほしいと望む人もいる。そうした手法や考え方を否定するわけではありません。しかし、例えば胃ろうの問題も、本人も家族も医師も望んでないということはないだろうか。

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