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梶原しげるの「プロのしゃべりのテクニック」ビジネス

梶原しげる:【296】農業研修で「田舎と都会をつなぐ受け皿作り」目指すNPO法人「えがおつなげて」の挑戦(1/6ページ)

2014.04.24

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凄腕金融コンサルタントが農業に転身

 農業経営の発展に貢献した個人や営農集団を表彰する「日本農業賞」。

 43回目を迎えた今年「食の架け橋の部」で大賞に輝いたNPO法人「えがおつなげて」(山梨県北杜市)代表の曽根原久司さんは、かつてビジネスの最先端、凄腕金融コンサルタントとして名を馳せていた。

 ドラマ「ハゲタカ」を地でいくようなバブルの奔流を駆け抜け、その崩壊の惨状をも目の当たりにしたビジネスパーソンが農業大賞を受賞するまでの20余年に何があったのか?何をして来たのか?

 先日直接お目にかかり、お話をうかがうチャンスを得た。

 「バブル崩壊を境に、コンサルの中身が、銀行の資金運用先の相談から融資先企業の破綻処理の相談へとがらりと変わり、嫌でもこの先日本はどうなるかを真剣に考えざるを得ない心境になりました」と曽根原さん。

 不眠不休の激務が続いたご本人より先に奥様が体調を崩された。「お金がすべて」というそれまでの暮らしからもっとも遠かった「田舎暮らし」への強烈な憧れを押さえることができなくなった曽根原さんは早々に都心のマンションを売却し、特急電車を使えば東京から2時間もかからない八ヶ岳の麓、山梨県北杜市にある農村への移住を決めてしまう。

 山梨県は日本で2番目に耕作放棄地率の高い場所だ(ちなみに1番は長崎県)。とりわけ曽根原さんの行ったその村は、限界集落の極み。住む家、野良仕事をする土地に困ることなどあり得なかった。

 まずは300坪ほどの耕作放棄地を開墾することから始まった。

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