私が育った茅ヶ崎にも「ネサヨ運動」の波

 私が育ったのはひなびた半農半漁の町、茅ヶ崎だった。茅ヶ崎と言えば桑田佳祐さん、加山雄三さんに象徴されるような「湘南のおしゃれなリゾート」とのイメージをお持ちの方がいらっしゃるかもしれないが、昔は単なる田舎町。風の強い日は海砂が教室に吹き込むから授業が中止になるような牧歌的な環境だった。言葉も東京とは大分違っていた。

「明日は運動会の予行演習あんからさ(あるからさあ)授業は午前中だけだんべえ。おいら学校、行っかどうかワッカんね。おめっちどうすんだ?」

 こういう我々「原住民」の会話を耳にした、遠路はるばる都会からやって来た「太陽族」のお兄さんおねえさん。

 「地元の子供は素朴でいいわね」と、チョコレートやガムを投げてくれるのを喜んで拾っていた…みたいな子供だった。

 SMAPの中居正広(茅ヶ崎のご近所藤沢出身)さんが「だんべ」を使うのを聞くと何とも嬉しく感じるのはそのせいだ。

 こんな「田舎」にも「ネサヨ運動」の波が打ち寄せた。

 「ネサヨ運動」とは茅ヶ崎のご近所、鎌倉腰越(やはり漁師町)辺りから広まった「美しい日本語普及のため、語尾の<ね・さ・よ>の使用を控えましょう」というようなキャンペーンだったらしい。

 「先生さ」と児童が質問をはじめると「<先生さ>はねえべよ。<さ>を抜いてよ、きちんと<先生!>つ、言わなきゃだめだんべ?な、おめ」と、生徒を戒める先生にも若干の混乱があったように記憶している。

 こういう体験が私の「人の話し言葉にひっかかる体質」を形成することにつながったのかもしれない。