トップ > 和田秀樹 サバイバルのための思考法 > 和田秀樹:オリンピックに躍らされない子供教育

和田秀樹 サバイバルのための思考法ビジネス

和田秀樹:オリンピックに躍らされない子供教育(2/7ページ)

2013.09.19

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

1964年東京五輪の際の時代認識をきちんと行うべき

 さて、このコラムを読まれる方に、サバイバルという意味で私が重要だと申し上げたいのは、2020年東京オリンピックが子供の教育に少なからぬ影響を与えそうだということだ。

 すでに、スポーツ庁の創設は既定路線になりつつあるし、テレビでは「これまで受験というと、学力だけでの入学を認めてきた。これからは、スポーツをできる人をもっと優遇しないといけない」というような発言も飛び出している。

 こういう風潮は、日本にとってきわめて危険なことだと私は考えている。

 第一、この手のコメントの主の時代認識には大きな誤解がある。

 確かに、1964年(昭和39年)の東京オリンピックの際は、戦後の混乱やそこからの復興、あるいは、戦後の貧困が多少緩和されてからの受験競争の激化など、国民のスポーツ離れや運動不足(とはいっても、自動車などが普及していなかったから、人々はそれなりに歩いていたのだが)から、スポーツに目を向けさせた功績はあっただろう。体育の日を設けたのも、先進国の仲間入りをするには、重要な一歩といえた。

 昭和39年当時というと、団塊の世代の大学受験がスタートするくらいの時期である(昭和22年の早生まれの人が高校3年生になった年だ)。やっと日本が貧困から抜け出し、当時の国立大学の授業料が安かったこともあって、庶民や地方の農村出身者にとっては高嶺の花だった大学進学が、多くの家庭で現実の可能性をもった時代である(一方で、まだ地方は貧しく、中卒の子供たちの集団就職も続いていた)。

 また、このオリンピックや東海道新幹線の開通などが重なり、日本が農業国から工業国(町工場から大企業主流の工業国という意味で)となり、さらに、植木等のサラリーマンもの(映画や歌、テレビのコントなど)がはやったようにホワイトカラーが時代の主流になり始めたころである。要するに、学歴の価値が一般大衆の間でも非常に高まると予期された時代だった。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • ログイン
  • マイフォローとは?
nikkei BPnet 会員サービス
トピックを選ぶ!フォローする 自分のメディアを組み立てる! マイフォロー

ランキング一覧を見る

おすすめ情報【PR】

締切間近のセミナー