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乗り移り人生相談ライフ

乗り移り人生相談:【146】100万円あるなら、100万円分の本を読みなさい(1/4ページ)

2012.05.24

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Q
寄付の思いがありながら、しないのは罪か

 酒、本、女、映画、お洒落が好きでいままで多くのお金を使ってきました。たまにふと思うのですが、それらに投資したお金で、病気を治したくても医療費を、学校に行きたくても学費を払えない人たちや、飢餓で苦しんでいる方々を一人でも救うことができるのではないかと。こういう思いを抱きながら、私はいままで一度も寄付をしたことがありません。ならばこういう思いを抱くことは、思っても行動に移さないという意味で罪なのでしょうか。ご教示お願いいたします。

(34歳・男性)

ミツハシ 寄付をしていない自分に罪の意識を感じるなら、いますぐ無理のない範囲で寄付をすればいいんじゃないですかね。

シマジ  それはどうかな。身も蓋もない言い方をすれば、少額の寄付というのは自己満足だ。相談者がどれだけ稼いでいるかは知らないが、1万円の寄付でも普通のサラリーマンにとってはかなりの決心がいるもののはずだ。だが、1万円では、飢餓で苦しむ子供の一人を一時は救えるかもしれないが、世界から飢餓をなくすことはできない。世界全体の貧困や社会矛盾の総体からすれば、サハラ砂漠にコップの水をまくようなものだ。相談者はそうした自分一人の寄付の無力さを感じていて、いままで一度も寄付をしてこなかったんじゃないかな。

 無論、1万円が何万人、何十万人から集まれば、できることの規模は違ってくる。だが、それとて、サハラ砂漠にコップの代わりにバケツで水を撒くという違いに過ぎない。だから寄付に意味がないと言っているのではないぞ。大きな問題や矛盾のほんの一部を一時的にしか改善できないとしても、そのために行動を起こさなければ何も変わらない。その意味で、寄付というのは、限られた対象に限られた効果しか与えられないことを承知で、それでもほんの少しでもいいから困っている人の役に立ちたいという居ても立ってもいられない気持ちからするものだと思う。

 仮に相談者のとても大切な友人が命にかかわる病気を患い、治療費や手術費用に困っていれば、相談者は新しい靴を買うのを止めてでもお金を援助するはずだ。相談者が寄付をすべきだと思いながらしてこなかったというのは、頭で考えているからだよ。どうしても寄付をしたいという必然も切実さもないからだ。そんな状態で寄付をしても、「俺はいいことをした」と自己満足を得て終わるか、「砂漠にコップの水を撒いただけ」と空しくなるか、どちらかだろう。これまであれこれ考えて寄付をしてこなかった相談者の場合、おそらく後者だろうな。

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