何でだか、職人たちに会うとほっとするのだ。
いや、大学教授とか研究家の先生が苦手だと言っているのでは・・まあそれもあります。いや、つまりは言葉や文化や知識を共有できていないときに、その人の存在自体から受け取る目に見えない情報が、僕の好きな感じだった、ということだ。
以下は僕の印象であり、彼らがそういったわけではない。ただ自分の中には真実が残った。
出会った職人たちには、ことを難しく考え過ぎないシンプルさがあった。そこが印象に残った。この仕事の意味、世の中に与える影響、哲学等、考えはあるのかもしれないがそこにはまり込んだりはしていない。そもそも言葉になっていない。
全体のうちの一部分であり、それを全うすること。それでいっさい過不足はないという姿勢。
あれこれ何にでもなろうとしていない。自分であること。
自分であるとは、全体のうちの一部分たる自分の、その全部を全うすること。与えられた役割を全うすること。
ガウディから与えられた役割。
それはきっと神から与えられた役割。
「この仕事の意味」とかを考える必要はさしあたってないってことだ。 人間の領分を超えて鳥瞰的に自分の価値など規定しようと思わなくていい。
この世の重要な何者かになりたくてそんなことを考えるのだろう。そりゃそうだ。でもそんな何者かなどない。何者かでない、もない。どんな仕事も営みも全体の一部で、その一部たる自分を全うすることにおいて違いはない。
全うすることは何も一生費やすこととも限らないし、全体はきっと変わり続けるものだろう。
そういえば・・、居酒屋とか古着屋で働いていた18歳〜20歳の頃、その時にはもう漫画家になると決めていたけど、その仕事は好きだった。面白かった。将来の漫画のためには役立つのかどうか不明でも、その瞬間は100%居酒屋の兄ちゃんであり古着屋の若僧だった。それでよかったのだ。
ただ全うする。没頭する。楽しむ。シンプルに、好きなことに打ち込むことで十分。目の前の仕事に自分を捧げる。自分の持ち場で全力を尽くす。そこまででいいんじゃないか。
その先はなるようになる。そうできているんだろう。
[2011年12月5日にケンプラッツで公開されたものをBPnet用に再構成して掲載]
漫画家
1967年1月12日生まれ。鹿児島 県出身。1988年『楓パープル』でデビュー。90年連載開 始の『スラムダンク』は、累計1億部を超える国民的ヒ ットを記録。98年から『バガボンド』、99年から『リアル』を連載し、現在も継続中である。
人間を描写することでは当代随一との呼び声も高い漫画家・井上雄彦が、絵の表現をさらに深化させるためにバルセロナに旅立った。範を求めたのは、サグラダ・ファミリアに代表される作品で世に知られる建築家・アントニ・ガウディだ。時空を超えて「鬼才」と「奇才」が呼応しあう。ガウディの眼を携えた井上は、自然、建築、街、カタルーニャの人々から受け取れる創造の“種=pepita”を切り出していく。 Facebook版pepita紹介ページ
◎書籍の購入は下記から
日経BP書店|Amazon|bk1|楽天ブックス|セブンネットショッピング
バックナンバー
- 「ガウディに触れて、草木の仕組み、構造、理屈に思いが向かうようになった」(2011年12月15日)
- 「カサ・ミラの曲がりくねった庇に秘められているもの」(2011年12月14日)
- 「ガウディに関する知識があったわけではない」(2011年12月12日)




















