(奥野 宣之)
時代より、私たちの頭の方がずっと「大変」だ
「戦後は終わり、『震後』が始まった」
「戦後最大の危機」
「まさに国難」
震災から何カ月か、毎日のようにこんな言葉を耳にしました。
菅首相も言っていたし、学者も新聞や雑誌でこんな言葉を並べ立てていました。僕も自分のコラムに「国難の今こそ読みたい〜」というタイトルをつけた覚えがあります。
今回の危機は、これまでとは違うぞ! というわけです。
ただ、しばらくして落ち着いてくると、この「これまでとは違う」のメッセージを繰り返すだけでいいのだろうか、という気もしてきます。
「大変な時代」なのはわかった。でも、そんな言葉を繰り返すことに何の意味があるのか。
地震が起きてしばらくして、東京でカウンセリング的な仕事をしている友達と会ったとき「関西は震災の影響がほとんどないから、なんだか申し訳ない気もする」と言ったら、「東京でも無事に生きてることに罪悪感を持って、鬱っぽくなってる人も増えてるよ」と返ってきました。
震災の死者を悼み、不便な暮らしをする被災者の苦労を思うのは、普通の心の動きでしょう。でも、被災していないのに気が滅入ったり、日常生活に影響するのは、ちょっとヘンではないか。
そのときは深く考えなかったのですが、この本を読んで、やっとこの「ヘンテコさ」の正体がつかめた気がします。
「いまは大変な時代だ」と屈託なく言えるのは、自己愛の表れである。(中略)
簡単に言ってしまえば、選ばれた者という意識を持っていれば、いつだって大変な時代だと感じられ、それを超克していく自分たちをとても偉く感じることができる。
でも、それは間違いだ。危険な思想でもある。でも、われわれはその危険さをやすやすと踏み越えようとしていないか。東北での大地震のあと、やすやすと何かを越えようとしていないか。(P.7)
そう、「大変な時代だ」と言うと、ちょっといい気持ちになる。
「戦後最大の危機」に色めき立つ政治家にメディア、それに「エア被災」で鬱になる人も、影響がないことをあえて口にする僕も、煎じ詰めれば「『大変な時代』を生きている特別な私」という実感が欲しいだけなのではないか。
だとすれば、被災者から「震災をネタに騒いでいるだけ」と指摘されても仕方ないのではないでしょうか。






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