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梶原しげるの「プロのしゃべりのテクニック」ビジネス

梶原しげる:【156】「伝えたい」という思いは誰にも奪えない(前編)(1/5ページ)

病魔へのタックルをやめなかった、1人のビジネスパーソンの戦い

2011.06.23

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 身体中の運動機能を失い、話せなくなっても、妻子や世界に向けて熱いメッセージを伝え続けた男性がいた。

 大企業に務めるビジネスパーソンだった倉田真さんは今年4月半ば、40歳になって間もなく、妻とまだ小さな二人の子どもに看取られた。学生時代から続けていたラグビーで活躍していた頃に88キロあった体重は半分以下になっていた。

 始まりは、仕事もプライベートも乗りに乗っていた34歳の時のこと。ふとした瞬間、首に違和感を覚えた。とはいえ、(ラグビーの)プレー中にぶつけたのだろう、という程度の認識だったという。

 それからまもなく、また異変が彼を襲った。クルマに乗るときに、右手の親指と人差し指を使ってキーが回せない。力が入らないのだ――。そういえば会社でも、クリップで書類を束ねようとする簡単な動作ができなかった。

 いくつかの病院で検査を受けたが、診断結果はまちまち。いまひとつ、ハッキリしないまま、1年が経った。当初、右手に覚えた脱力感は左手でも生じ、やがて歩きにくさまで感じるようになってきた。そしてある病院で、「ALS(筋萎縮性側索硬化症と呼ばれる難病)の可能性がある」と言われた。

 海外勤務の辞令が出たのは、ちょうどその頃だ。中国での新規事業の立ち上げという重要な任務で、白羽の矢が立ったのだ。病気のことを話せば当然、会社からもストップがかかってしまう。赴任に反対する医師とは診断書を常時携帯することを約束し、家族を伴い、北京行きを決めた。

 しかし、仕事は持ち前の気力で乗り切れるものの、体調は日ごとに悪くなっていく。歩くのも辛い状態になっていたが、現地での移動がほとんどタクシーであることに助けられた。

 ワイシャツのボタンを留めるなど指先を使う作業は、ほとんどできなくなっていた。自宅では、奥さんがすべてやってくれたものの、上海などに1人で出張するときは、ホテルのボーイさんに頼まなければならなかった。

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