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芦田宏直の「ストック情報武装化論」ビジネス

情報武装化論:第5回 人工知能と機能主義の諸問題(1)(1/7ページ)

人工知能ほど主体的で人間的なものはない

2010.07.21

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機能主義と行動主義─「内面」とは結果に過ぎない。

 機能主義の基本モデルは、簡単に言えば、「パブロフの犬」の条件反射。刺激を与えると一定の規則だった反応があるというもの。

 機能主義は英語のfunctionalismの訳だから、むしろ関数(function)主義と言った方がわかりやすい。「パブロフの犬」に於けるベルの音と犬の食欲を表す唾液は、関数関係にあるわけだ。

 刺激(INPUT)と反応(OUTPUT)との間に或る形式的な規則性が認められれば、その反応体(と取りあえずそう呼んでおこう)は何ものか「である」と。

 機能主義は、どんな内容(=実体)がその刺激と反応を支えているのかは棚に上げて、刺激(INPUT)と反応(OUTPUT)というテーマ化された観察対象、観察主題だけを基盤にして内容(substance)を逆構成するという離れ業をやってのける。述語をたくさん集めれば、いつかは主語になるという考え方である。

 近代経済学が前提とする行為者の合理性理論(rational choice theory)、つまり自由な判断主体を前提して最大利益の獲得を目指す合理的な個人というのは、この機能主義で言えば、幻想に過ぎない。最初に合理的な思考をする個人ありきという立場、つまり自らの不利益をわざわざ招くような行動をする人間は存在しないという立場に、この機能主義は立たないからだ。

 哲学や思想の分野でも、人間を《魂(soul)》という、自然物からは自由な実体を有した存在者(=主体)とする立場が存在するが(プラトンのイデア論、アリストテレスの目的論、キリスト教もそもそもその立場に立つ)、これもまたこの機能主義から言えば幻想に過ぎない。最初に自由な魂の主体(subject=substance)ありきという立場に機能主義は立たない。

 そういった反省に立って、経済学は合理的な個人主義から「行動経済学(Behavioral economics)」に、哲学は人間主義=主体主義から「機能主義(functionalism)」=「行動主義(behaviorism)」に「進化」して行った(とされている)。

 両者ともに「行動」と呼んでいるが、実はこれは誤訳に近い。「行動」と訳されている英語はbehavior。「振る舞い」「外貌」のことである。

 日本語で言えば「行動」の反対語は理論的なものと理解されがちだが、この行動主義の「行動」の反対語はむしろ「実体」(subsistence)としての中身ということを含意している。その意味では、behaviorismは、むしろ「外貌主義」と訳した方が意味が伝わりやすい。

 このbehaviorとしての外面こそ、「パブロフの犬」的な唾液のことを指している。「ベルが鳴る」というinputに対して「唾液が出る」というoutputがbehaviorである。

 この場合、犬が「合理的に」唾液を出しているのか、犬の「心や魂(soul)」をもって唾液を出しているのかは、機能主義にとってはどうでも良いことだ。そういった「実体」(subsistence)としての中身はどうでもよい。大切なことは、ベルを鳴らす(ベルの音が聞こえる)というinputに対して、唾液を出すというoutput=behaviorが事実として生じたということなのだ。

 ここ(このfunction)に反復的な規則性を見出すことができれば、またこの反復的な規則性が他の存在者と区別されることになれば、それは固有な種別性をもった一つの存在者(言わば「実体」(subsistence)としての中身)だと判断することができる。機能主義にとっては、「実体」(subsistence)としての中身、あるいは「内面」は結果であって、出発点ではない。

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