昭和23年12月23日零時1分30秒、死刑執行開始……皇太子明仁の誕生日に、なぜA級戦犯7人は処刑されたのか? 僕が20年間あたためてきたテーマについて書き下ろした新刊『ジミーの誕生日 アメリカが天皇明仁に刻んだ「死の暗号」』(文藝春秋、税込1500円)が、11月25日に発売された。
子爵夫人による「ジミーの誕生日の件、心配です」とは何か

僕の仕事場に届いた一通の手紙から、ストーリーは始まる。手紙の送り主は、「祖母の日記」に書かれた一文が気になる。昭和23年12月7日の日付で止まっているその日記は、「ジミーの誕生日の件、心配です」という文章で終わっている。祖母は美貌と奔放さで社交界に知られた子爵夫人。送り主の女性の父親は、皇太子明仁のご学友だった。
じつは、ジミーとは皇太子明仁のことである。ジミーという呼び名は、連合国軍による日本占領後、学習院に赴任したアメリカ人の英語教師エリザベス・バイニング夫人が、英語の授業をはじめるにあたり同級生の全員にニックネームをつけたとき、皇太子に「あなたはジミー」と言ったからだ。
「バイニング夫人が英語教師として赴任した際、皇太子明仁は学習院中等科の1年生、まだ12歳だった。日本語の太郎、次郎と同じで、アルファベット順にアダム、ビリー……、とニックネームをつけた。『今日からジミー』と呼ばれた皇太子明仁は『ノー、アイアム・クラウンプリンス』と即座に答えた。
バイニング夫人は『そうです。あなたはプリンス・アキヒトです』と、同意して言った。どんな反応をするかと注視しながら、決然と強い調子でつづけた。同級生も、固唾をのんだ。
『それがあなたのほんとうの名前です。けれどもこのクラスでは英語の名前がつくことになっているのです。このクラスではあなたの名前はジミーです』と言い切り、皇太子明仁は照れながら微笑んだ。生徒たちも一瞬にしてほぐれた」
(『ジミーの誕生日』より)