■今月の言葉
礼を知らざれば、以って立つことなきなり
(礼を心得ておかなければ、一人前の社会人とは言えない)
堯曰(ぎょうえつ)篇
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孔子は、社会生活や人間関係において、「礼」、つまり儀礼や祭礼、マナー、エチケットを身につけることがまず重要だと考えていました。
孔子のこの考え方は、時代を経るにつれ、やがて法律が大事という法治主義を生みだしていく、そんなちょっと意外な経緯を見せていくのです。今回は、その歴史的経緯とロジックを追ってみたいと思います。
孔子の弟子の中でも、特に「礼」を重視したのが、子夏(しか)でした。子夏には、こんな話が『論語』に残されています。
「子夏の門人の若者たちは、掃除や客人のもてなしに関してはきちんとしている。しかしそれは枝葉末節(しようまっせつ)のこと。根本の部分が見当たらないのは、どうしたことだろう」
こう子游(しゆう)が言ったのを聞いて、子夏は、こう述べた。
「子游は考え違いをしている。君子の道には、教える順番もないし、何かを後で教わったからダメだということもない。草木でさえ、種類によって育て方はまったく違うではないか。最初からすべて揃っているのは、聖人だけだよ」
子張(しちょう)篇
この話からも分かるように孔子の弟子の子游と子夏とでは、学問に対する考え方が大きく食い違っていったことが分かる話ですが、子夏は今でいう「しつけ教育」の徹底によって、人を育てようとしていました。そのしつけの中身が、礼儀作法だったのです。




