無視できない「核抑止」の効果
日本では国民レベルでも、国政レベルでも、核廃絶が熱心に語られるようになった。核廃絶とはもちろんこの世界から核兵器をすべてなくしてしまう、という意味の標語である。核兵器使用が実際にもたらす惨状を体験した広島や長崎で8月の犠牲者追悼を機に、その核兵器の廃絶を改めて求める声があがるというのは、ごく自然である。日本の政治の場で原爆の被害を実際に受けた国民からの願いを受けて、核廃絶を真剣な政策目標として論じることも、同じようにごく自然だといえよう。その背景には米国のバラク・オバマ大統領がこの4月、チェコの首都プラハで核廃絶の実現を目指すと宣言する演説をしたことが大きな要因として存在する。
では核兵器の廃絶はどう実現させるのだろうか。この点ではわが日本は核兵器の唯一の被災国ではあっても、当事国ではない。日本は核兵器を保有してはおらず、核廃絶というのはあくまで核の保有国が実行しなければ、実現しない。だから日本にとっての核廃絶というのは、厳密にいえば、「核保有国にその保有する核兵器を廃絶させる」ことになる。日本にとっての核廃絶とは、つまり「廃絶する」ことではなく「廃絶させる」ことなのだ。そしてその目標はいずれにしても、崇高な理想として尊重されるべきである。
だがその一方、安全保障上の核兵器の効用は無視できない。日本の国家や国民の安全保障の重要な柱にも核兵器の抑止の能力は完全に組み込まれてきたのである。日本の「防衛計画の大綱」は、「核兵器の脅威に対しては米国の核抑止力に依存する」と明記している。「防衛計画の大綱」は日本の防衛について、日本を核兵器まで使って侵略しようと考える国は「強大な核戦力を有する米国との対決という大きな危険を考えて、侵略を止める」と述べている。つまり「米国の核抑止力が日本への核攻撃を強く抑止する」というのだ。
バックナンバー
- オバマ人気、急降下の理由(2009年08月25日)
- 原爆投下への非難を表明してもよい時代が来た(2009年08月11日)
- 日本の民主党の外交政策を米国はどう見るか(2009年08月04日)
- 非核三原則の虚構を排すべき時が来た(2009年07月21日)
- 抗いようがない、米国における日本の地盤沈下(2009年07月07日)
















