今年もまた8月15日の終戦記念日が近づいてきた。第二次世界大戦という不幸な時代をはさんで、70年以上もの歴史を持つ日米学生会議。僕はその会議にゲストスピーカーとして呼ばれ、そこで海軍将校・水野広徳の話をした。水野は1930年に15年後の東京大空襲を予見して物語を書いた人物である。
宮澤喜一、キッシンジャー両氏も参加した日米学生会議
1934年に発足した日米学生会議は、日本初の国際的な学生交流団体として長い歴史をもつ。途中、戦争や財政難で中断はあったものの今年で61回目を迎えた。日米の学生が36人ずつ約1カ月間、共同生活を送って交流を深める。日米で毎年交互に開催されており、今年は7月26日から8月21日まで日本で開かれている。「国際社会を見据えた対話と発信」をテーマに、全世界を視野に入れてこれからどう考え行動すべきか、日米の学生たちが話し合う。外務省のレセプションや横須賀米軍基地の見学など、日程はぎっしり詰まっている。
日米学生会議には、数多くの著名人が学生時代に参加している。日本側からは宮澤喜一元首相が39と40年に参加した。アメリカ側からはヘンリー・A・キッシンジャー元国務長官が51年に参加している。
為替相場が変動制になり円高が進行するまでは、日本人にとって海外渡航は高嶺の花だった。50年代、60年代に日米学生会議に参加して渡米した日本人学生には、経済的負担がものすごく重かった。上流階級など余裕のある家の子弟が参加するイベントだったのである。
余談だが、65年頃にユネスコに出向していたエリート官僚から、こんな話を聞いたことがある。当時20代だった彼は、1ドル=360円のレートの時代、ユネスコに出向して月給が1000ドル(約36万円)だった。日本に残っている同期は月給が約2万円という時代に、使い切れないお金をもらっていた。「あのときほど豊かだったときはない」と彼は振り返っていた。いまの中国人が、日本に来て日本人と同じ月給をもらうようなものだ。それだけ、海外での生活は日本人にとって割高だった。
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