前総務相の発言は「正義」を尊ぶ責任あるオトナの姿なのか
やはり「正義」という響きには気恥ずかしさがともなう。いうまでもなく鳩山前総務相の発言である。たまたま、辞任(更迭?)後のインタビューを見たのだが、「正しいことが通らない」には、「目が点」になってしまった。それから気になってニュースをチェックしていたら、いやはや「出るわ、出るわ」で「正義(正しいこと)」のオンパレードである。
もちろん言論は自由だし、政治家としてのパフォーマンスとやらもあるのだろう。それにしても、60歳にもなる前大臣閣下である。要職にある方が発言する言葉としては、いささか稚拙すぎるし、どことなくウサン臭さもつきまとう。
そう思っていたところ、当たりまえだが、違う感じ方もあった。「政策以前の、正義を前面に掲げた闘いはわかりやすく、迫力がある。<正義>という言葉も久しく耳にしたことがなく、新鮮だ。(近聞遠見:鳩山邦夫、負けて勝つ?=岩見隆夫氏)」。
たしかに、「正義」は「久しく耳にしたこと」はない。しかし、それが「新鮮」かどうかには疑問がある。まして「正義を前面に掲げた闘いはわかりやすく」とされると、なんとなく危うささえ感じてしまう。
考えてみれば「正義」とか「正義の味方」は、子どもの世界でも死語に近い。統計をとったわけではないが、遊びに「正義のヒーロー」が登場するのは、おそらく幼稚園児くらいまでだろうし、それも極めて稀である。小学校2〜3年生ともなれば、確実に聞いたこともない。
だからといって「よくない傾向」でもないだろう。程度の差はあるとしても、子どものなかには「正しいかどうか判断する力」は育っているし、「間違いを間違いと指摘し修正する」子ども相互の関係も目にする。子ども達の純粋な「正義感」が、この時代になって急速に失われてきたとは思いにくい。
ただ、はっきりしているのは「正義」や「正義の味方」という言葉は、あまり耳にしなくなった点である。もちろん、ごく限られた範囲での見聞なので断定はしないが、子ども達にとって「正義の味方」は、人気用語(?)ではなくなってしまったのかもしれない。
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